謎のおっさん・ツネッキー
現在では描写できないようなことなど、当時の社会に逆行する、とてもメッセージ性の高いドラマでした。 私が一番印象に残ったのは、第23話です。 令子の葬儀のため、先に空路、東京へ向かう純と螢、雪子がいて、翌朝到着した五郎に冷たい表情を見せる大人たち。 葬...
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謎のおっさん・ツネッキー
現在では描写できないようなことなど、当時の社会に逆行する、とてもメッセージ性の高いドラマでした。 私が一番印象に残ったのは、第23話です。 令子の葬儀のため、先に空路、東京へ向かう純と螢、雪子がいて、翌朝到着した五郎に冷たい表情を見せる大人たち。 葬...
電波少年Wゲストの記憶 中の人
【電波少年Wゲスト 杉田成道さんの記憶】 我々は人に見てもらいたいわけですよ、人に拍手して欲しいわけですよ、その為に生きてる、その為に24時間寝ずにやる、っていうのがあるんですけれども、数字の為にやってるわけじゃないんで。 そういう意気が今すごくなくて、制...
電波少年Wゲストの記憶 中の人
【電波少年Wゲスト 杉田成道さんの記憶】 倉本聰さんから富良野をスタジオにして富良野の話をやりたい、っていう。それは、テレビは中央集権なもので、全部東京から行って、電波が流れて。東京の生き方/価値っていうのが、これが所謂、日本の価値である、ということにな...
電波少年Wゲストの記憶 中の人
【電波少年Wゲスト 杉田成道さんの記憶】 「2002遺言」で吾平(唐十郎)が真冬の海で遭難し奇跡的に帰還するシーン。あの流氷のシーンは撮れるまで1か月かかりました。実際に流氷に乗らなきゃいけないので、夜中に真っ暗なうちから行って、助監督がこの辺の流氷なら大丈夫...
電波少年Wゲストの記憶 中の人
【電波少年Wゲスト 杉田成道さんの記憶】 「'84夏」のラーメン屋で純の丼が下げられ、吾郎が「子供がまだ食ってる途中でしょうが!」と激高するシーン。 これ撮るのに10時間掛かってるんですよ、ワンシーンを。子役の演出?何回も何回もやるんですよね!100回位はやるん...
電波少年Wゲストの記憶 中の人
【電波少年Wゲスト 杉田成道さんの記憶】 (『とんねるずのみなさんのおかげです。』でパロディされた「子どもがまだ食ってるでしょうが〜!」) 許可はもちろん出したんですけども、この頃はすでに(『北の国から』は)3年に1回ぐらいしか放送していないんですよ。 その...
電波少年Wゲストの記憶 中の人
【電波少年Wゲスト 杉田成道さんの記憶】 連ドラ全24話の脚本は最初から全部、ではなく途中、途中で。一番始めの邦さん(田中邦衛さん)と最後の方の邦さんでは、人物像が違ってますね!どんどん脚本が邦さんに合わせるようになってきて! 放送は、全部撮り終わってから...
電波少年Wゲストの記憶 中の人
【電波少年Wゲスト 杉田成道さんの記憶】 当時、富良野って観光客が30万人ぐらいだったんですけど、これが始まって200万人になりました! すごいのは、子どもに純とか螢とか付けた人がたくさんいて!とっても責任持てません(笑)
電波少年Wゲストの記憶 中の人
【電波少年Wゲスト 杉田成道さんの記憶】 当時のドラマはスタジオドラマが普通のドラマで、カメラも大きなカメラだったんですが、そのころ初めて小型カメラができたんですよね、ソニーさんから。これを使って、いわゆる富良野をひとつのスタジオにして、オールロケーショ...
電波少年Wゲストの記憶 中の人
【電波少年Wゲスト 杉田成道さんの記憶】 スペシャル版をやる、っていう話は連ドラが終わってからですね。 (純と蛍のお母さんが亡くなって) もう終わりの予定だったんですけれども。 これは母を求める子どもの歌う歌ですから。 その時に倉本聰さんと話してた中で、...