「ザ・ベストテン」
のみんなの記憶

エイチ

エイチ

毎週木曜日、とにかくこの番組が楽しみでした。 視聴者がハガキで参加できるランキングシステム、 ミラーゲートからの登場シーン、司会のお二人の楽しいおしゃべり、独創的な?演出とセット、飛行場・新幹線のホームなどあらゆる場所まで追っかけての生中継......、 始まりから「ハイ、ポーズ」で記念撮影するまで見逃せませんでした。 書き切れないですけど、今思いつく印象に残ってるシーンと言えば... ・少年隊「ABC」オーストラリアからの中継の回。 曲の途中で混線して海外ドラマが始まるというまさかの展開...。 ・南野陽子さん歌詞を忘れ歌えなくなった回。 手が震えていて、テレビの前でがんばれーー!!と応援しました。 次の日学校でもこの話題で持ちきり。 ・シャネルズ、中継先の男の子から質問が来た回。 「シャネルズって黒人のくせにどうして香水の名前なんですか?」 それに対し、黒柳徹子さんがCM明けに番組の進行をいったん止めて言った言葉が 「先ほど黒人のくせにっておっしゃった方がいましたけど、 肌の色が違うとか国籍で人を判断して何とかのくせに...っていう言い方をするのは とても悲しいことなので、どうかおやめになって下さい」 テレビの前の子供たちはキョトンとしてたかも知れないけれど、大事なこと見落とさずにきちんと伝えてたんだなァ、と大人になってから改めて思い返しました。 ベストテンは司会も素晴らしかったですね。 プロデューサーの故・山田修爾さんにも出来ることなら「電波少年W」に出演してお話しを伺いたかったです。

この投稿へのコメント

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エイチ

エイチ

「ルビーの指輪」は誰もが知ってる曲だったし、12週ずっと1位というのはスゴかったですよね。 今ではシングルCDが売れなくなったし音楽のジャンルが枝分かれしすぎて、お茶の間の家族みんなが1つのランキング番組に注目すること自体もうあり得ないかも知れないですね... アルフィーは中継が多かったイメージがあります。サプライズの回は犬にも吠えられたんですよね(笑) 「星空のディスタンス」の時はプレゼントでタンスが出てきたりしてダジャレ?みたいな... 中森明菜さんにはお父さんからの直筆のメッセージが書かれたお皿が渡されて泣いてたりして、感動的なプレゼントももちろんありましたね。 小泉今日子さんの横で子犬がウ〇コしたり、浅香唯さんの歌ってる傍で柔道やってたりとか珍場面もいろいろ。

りんりん

りんりん

河合奈保子さんが出演の時 漫画家の中西裕氏がデビュー前に「あしたのナオコちゃん」という漫画を同人誌で描いているエピソードがあった(中継で中西氏本人も登場) 何年かたって本屋でこの漫画「あしたのナオコちゃん」をみつけて、買ったな〜

Tプロデューサー

Tプロデューサー

エイチさん 「ザ・ベストテン」は本当に革命的な番組でした。それ以前の番組はランキングといっても局の事情で操作されていて(この人はテレビに出ない人、とか)リアルなものではなかったのですね。それを出ない人は「今週も出ていただけませんでした」と番組で言ってしまうというのが衝撃でした。”テレビはリアル”を音楽番組で体現した初めての番組で電波少年もそのコンセプトにおいて影響を受けていると言えます。

エイチ

エイチ

Tプロデューサー> ベストテン以前の音楽番組というのはなじみがないんですけど、世の中がリアルに求めているものではなかったというか、人気に関係なくプロデューサーがキャスティング権を持って毎回決まりパターンの歌手を呼んで...みたいな番組が多かったようですね。 黒柳さんが司会を引き受けるにあたって「順位にウソはつかないで下さい」というのが条件だったという話は聞いたことがあります。 先日の「電波少年W」の北の国からSPを見ていても感じたのですが、やっぱり長く心に残るテレビ番組というのは作る側の心意気というか姿勢が真摯だし、熱量が凄いですよね。 ベストテンもそういう番組だったと思います。

コメント1件
IKASAMA

IKASAMA

毎週欠かさずみてましたね。 中継は、「追いかけます。お出かけならば どこまでも」でしたかね。 私はALFEEのぐだぐだ中継が印象に残ってます。 サプライズで、視聴者宅にアポ無しで行ったら不在。家の前で演奏したら、カラオケがテープ伸びてぐぁんぐぁんに… 生放送ならではのハプニングがまた楽しかった。 学校で必ず話題になる番組でしたね。 黒柳徹子さんの対応は共感します。

phoenix

phoenix

12週連続1位のルビーの指輪の記録は、番組終了まで破られなかったんですよね 今そんなことあり得るのだろうか

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