電波少年Wゲストの記憶 中の人
【電波少年Wゲスト・藤村忠寿さんの記憶】 Q:大泉洋さんと接する中で「彼なら全国で活躍できる」と確信したのはいつ頃でしょうか? 北海道のローカル局だから、タレントなんていうのはいないわけですよ、ほぼね。大泉さんは『モザイクな夜』っていう『水曜どうでしょう』の前にやっていた番組に欠員が出て、それに事務所の社長さんが連れてきて。「面白い子いるから、ちょっと見てみて」とかって言って、オーディションとかじゃなくて、そのまま使われて。当時は大学生。 (『モザイクな夜』には)TEAM NACSは全員出てたけど、それで大泉さん出てて、コーナーが違ったんだけど、見てて「ああ、面白いな」と思って。半年ぐらいかな? 前の番組やってて、そのまま僕が新番組を立ち上げるってなったときに「大泉君、いいよね」っていう感じで。 (大泉洋が)最初から「いいな」っていうか、そもそもタレント力っていうものに頼っていなかったっていうか。それは土屋さんと一緒ですよ。時間のあるやつを使うっていう(笑)。大学生ですから、試験ぐらいで、あとは自由に使えるからみたいな。 でもね、番組を始めて、割と早い段階で、僕にとっては「日本で一番面白いやつ」っていうのは、もうありましたね。 笑いの部分で目指しているというか、感性みたいなのは、やっぱりお互い笑っちゃうんですよ。あいつが何か言うと俺も笑っちゃうし。でも、他の鈴井さんとかカメラ回してる嬉野さんとかは、たまにぽかーんと俺たち二人がやっててもすることはあったけど、われわれの場合はいつまで経ってもやっているというところが、カメラ回っているとやっているところはあったから、合ってはいた。 (藤村Dは大泉洋が投げた球をすごく良い所で受けるキャッチャーである、という指摘に対し)あははは(笑)。確かに。いや、それは嘘じゃなくて、僕にとっては剛速球に見えるときがあるんですよ、やっぱり。他の人には「緩い球だな~」っていうのが、俺の中ではスパーン!って来るみたいな。もうその時は、屁こいちゃいますよね、やっぱり。屁も出るぐらいのっていう。
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