Tプロデューサー
こんにちは! 有名じゃないあなたしか覚えていない電波少年のシーンを教えてください。
アイルトンせなか
いつも外ロケで松村さんを置いて逃げていたスタッフさんが 珍しく松村さんを助けに行った回を見たいです たしか内容が 「美空ひばりさんの銅像にイタズラする人を注意しに行きたい」という企画で イタズラした人をハリセンで叩くといった内容で 最初は、松村さんと意気投合していた若い人が 「じゃ、俺銅像触っちゃおうかな」と言い触ってしまったため 松村さんが仕方なくハリセンで叩くと、その人が激怒して 松村さんに食って掛かって行って 「お前、こんなことして楽しいのか!」と言った際に 松村さんが「いいんですよ!好きなんだから!!」と返して いつも松村さんを置いて逃げてばっかりだったスタッフが反省して (今回ばかりは)と、松村さんを助けに行った際にカメラを壊されて 「(助けに)行くんじゃなかった」と言っていたのが印象に残っています ※スカパーの再放送では、オープニングテロップに紹介はありましたが 放送でカットされていたので、是非とももう一度見たいです
まそっぷ
こんにちは! 現在私は大学生なのですが、高校生の頃にYoutubeで電波少年の動画を見つけてハマってしまいました。それ以降、DVDを借りたり、あらゆる動画サイトを漁ってみたり・・・現在見ることのできる電波少年関連の動画はすべて見たつもりでいます。 中でも衝撃を受けたのは、ライブ乱入シリーズ・・・入れ墨バンドのやつとエレベーターに乗って突入するやつの2つは見ました。 他にも放送されたのがあったのでしょうか??
よっぴ
コラムニストの麻生千晶さんのマンションの敷地に入って問題になったのは、オンエアされたのでしょうか? ニュースで警察沙汰になったのは覚えているのですが・・・。もしオンエアされてなかったら、この際オンエアしてください!
カゴチャン
個人的には地球防衛軍レッドさんが心霊写真を撮る企画で本当に撮れちゃって 放送できなかった話を詳しく聞きたいです。 レッドさん曰く手を広げた男の人がドアップで写ってたとか。 確か当時、魂のラジオ!ジャンベルジャンにTさんがゲストで出ていて 今までで一番面白いVTRだったみたいな事を仰ってたので 実はそこも含めてだったのかとか気になってます。
Harima Harima
色々ないい思い出ありますけど、私しか覚えてないシーンはどうかなー なすびさんの広末涼子純粋愛情! タイへ象を守りたい松村さんの誘拐事件かな? 羽田実さんの大車輪チャレンジ、基礎代謝しらなかったのもんだい、番組スタッフと相談先生そのことをしらなかったはありえないねw もうちょっと有名じゃないシーンを考えますw
獅子丸
あまり詳しい企画内容は覚えていませんが、松ちゃんが横山やっさんに会いに大阪へ行き怒られているシーンがありました。(スタッフさんもガチで怒られていましたね。) シリーズになっていたのか、その後、寿司屋のようなところでもやっさんと松ちゃんが絡んでいたシーンがあったと記憶しています。 そのシーンが見たいのと、当時放送できずカットされたシーン、その他、お蔵入りとなったものも見たいです。 Tプロデューサーさん、是非是非お願いします!
ふっちゃん
こんにちわ! すごく覚えているのは辞めた(逃げた?笑)スタッフさんを名指しで捜索していたことです。大きなテロップで戻ってきて〜!ってやってませんでしたっけ? 笑いながら怖って思った記憶があります。 あと猿岩石とディレクターのSさんの喧嘩かなぁ。 けっこう本気でしたよね。 いつも何が起こるかハラハラドキドキで見ていました! 学校でトイレができるように・・・はウッチャンナンチャンの方でしたっけ?
yu@kou_A
笑福亭鶴瓶さんと中村玉緒さんがメインMCをした「電波少年GREAT」というスペシャル版で鶴瓶さんが「高価な器で食事がしたいin台湾」のロケで林語堂ゆかりの茶碗でご飯食べるシーンでレトルトの中華丼を温めずにごはんにかけてのですが、鶴瓶さん中々口に入れようとせずずっと「林語堂(リン・ユウタン)」と呪文のように唱えているシーンが20数年経っても記憶に残っています。
かおりん、
キャイーンのヒッチハイク旅 ドイツとオランダの国境でキャイ〜ンの二人が待ち合わせして、これドイツんだ?オランダ! というだじゃれを言いたい!という企画 ウドちゃんがオランダの道中で木靴をもらって、待ち合わせ場所に木靴で現れた記憶が これがおもしろかったから、長期のヒッチハイク旅に繋がったんじゃなかったかな?? 猿岩石日記も持ってたよーー。
ほんげたろう
松ちゃんが渋谷でチーマーに絡まれるシリーズだったと思いますが、自販機の陰のようなところで「おい、松村よ〜」みたいに絡まれていたところに、通りがかりの30代くらいの男性が「何かありました?大丈夫ですか?」と声をかけてきたシーンが、ず〜〜っと印象に残っています。 チーマー、松ちゃんともに「何でもないです。大丈夫です」と言うので、少し念を押しつつ去って行かれたのですが、ああいうところで声をかけられる姿勢に大変感銘を受けました。
すすむ
1年半も企画が続いたRマニアのスワンの旅が印象に残ってます。ちょうど、なすび・Rマニア・パンヤオの3本企画の放送で毎週みてまして。 特にRマニアの内田有紀さんが差し入れを持って行かれた(千葉県と海外)放送で二人が驚いた顔がもう一度みたいです
かんな はる
「15少女漂流記」の際、強い連帯感が生まれいいムードの中、生きるために可愛がってたニワトリに手を出すシーンは…生きる厳しさと不思議なユーモアがミックスされて絶妙な感じがありました。 変な残酷さがなく、カラッとしていた記憶があります。
アイルトンせなか
初めに断っておきますが これは、私の勝手な思い込みです ドロンズが、旅の途中でお世話になった パパと呼んで慕っていた キャンピングカーを運転していた男性 ゴール後に、大島さんが ゴールしたことを報告するため会いに行きましたが その、再会のシーンが 自分の中では「撮りなおしてる?」と違和感を感じました 何故ならば、大島さんが「パパ!」と呼んだ時の 「オー、ナオヤ!」の言い方が、棒読み感を感じたからです あくまでも個人の思い込みですが ドッキリで大島さんが、最初に 「パパ!」と呼んだ時に おそらくですが、大島さんのことを覚えておらず 大島さんとスタッフさんが、旅の事などを説明して 思い出してもらって、改めて撮りなおした といった印象を受けました
チャーリー
箱男が下剤飲まされるシーン 恵子先生が、たまたま見た新聞を見て、教科書を訂正するシーン ゴミ拾いの企画で犬の死骸を見つけて泣くシーン なすびがドッグフード食べてるシーン 大車輪成功のシーン 有名なのもあるけど、すごく記憶に残っていてもう一度見たいシーンです。
かがやき
雷波少年なんですが、、、 ラストツアースタート時に、 ロシアのシベリアでブルームオブユースの松ヶ下さんがアイマスクを外したときの顔が怒っていたこと。 電波・雷波で、拉致されてアイマスク外した直後に怒っていたのは松ヶ下さんが最初で最後なのではないかと思います。 ちなみに、 当時中学生だった私はブルームを応援しに武道館へ行ったのですが、あまりの人で入場することができませんでした。 でも、外にいたロシナンテを見れて嬉しかったです(笑)。
オスのネコ
アフリカヨーロッパ大陸ヒッチハイク、喜望峰のお土産屋っぽい服屋でチューヤンが4500円ぐらいするTシャツを言い値で買おうとして伊藤くんに散々静止されてお店を出るところ。何故か焼き付いています。
ドロンズFAN
ドロンズがサンタの格好をして雪の中にゴールへ向かって歩いているシーン 生放送だったので結構長くて、今ならありえない長さだったと思います。 子ども達はドロンズを本当のサンタクロースと思って応援していました。 (トナカイいませんでしたが) 「電波少年」のVHSが家に10本程ありますが、カビで観れません・・・ でもまだ捨てられません・・・ 「電波少年」は当時1番はまっていましたので。
電波うどん
サグラダ・ファミリアの建設に、芸人のカガヤという人が手伝いに行く、という企画。 現地の職人たちから、「お前の名前はなんて言うんだ?」 とスペイン語で聞かれたが理解できず。 が、ジェスチャーも含めた会話だったので、名前聞かれたことが分かって 「カガヤ!」 と答え、彼らが困惑し、「いや、そうじゃなくて、名前は何というんだ?」 と聞いても 「カガヤ!」 と連呼。そんなやり取りで現地の人たちが爆笑してたシーン。 テロップと木村さんのナレーションでの説明で 「カガヤ」というコトバはスペイン語で「うんこしろ!」 という意味。 それで、ぼくも大爆笑しました。 のち、10年後くらいに、ペルー人の友人ができ(ペルーの母国後はスペイン語、たしか..) このシーンの事を思い出して、彼に聞いてみたことがあります。 彼は、その芸人「カガヤ」の事を知っていたんです。 でも、その電波少年でのカガヤは知らなかったみたいで、 そのシーンを説明したら、、、 大爆笑してました。 友達は来日してから随分時間がたっているので、 日本の生活に完全に慣れてしまっていて 「カガヤ」というコトバは、「苗字」という認識になっていたんですね。 それで、この電波少年のシーンの話しを僕がしたことによって 脳みそがペルー人に戻ったんでしょうね。 涙流しながら笑って、僕に説明してくれました。 「うんこしろ!だよ、そう。 うんこする、とか、してください。とかじゃなくって命令だよ! うんこ「しろ!!」って...」 長々と駄文、失礼しました。 電波少年、ほんっとに大好きでした。 名古屋では土曜の夕方に不定期的に放送されてたのですが、 いつもいつも楽しみに見ていました。 松っちゃんが牛のゲップ吸ったり、チーマーにボコボコにされたり、 森英恵さんにスタッフジャンパー作ってもらったり、 あっこさんがアラファト議長とデュエットしたり、 もう、まさかの事ばかり体当たりでやっていく姿に 本当に本当にたくさん笑わせてもらいました。 最高、最高に大好きな番組です。 まさかこんな年月がたって、この2人の姿が見られるなんて!! さらには、また何かしでかそうとしてるなんて!! 嬉しすぎます!!!!! またスゲー事やらかしてください!!!!!
かがやき
ドロンズゴール翌日の元旦生放送スペシャルにて、番組最後に突然行われた「進め!電波少年終了発表」のシーンをリクエストします。 あまりにも唐突でショックでした。 当時小学6年生だった私は、父に日テレの電話番号を教えてもらい、「本当に電波少年終わっちゃったんですか?」と心配の電話を入れたことがあります(笑)。 それと、ドロンズの最後の日記の帯に、進めが付かない「電波少年」だけの表記がとても新鮮でした。 でも、終わったのは「進め」で、 翌々週には「進ぬ」に変わって放送されて本当に嬉しかったです。
獅子丸
全く企画内容は覚えていませんが、ロケ中にプロデューサー(長濱さん?)が公安警察の事情聴取を受けて、ロケバスに泣きながら帰ってきたのが印象に残っています。確か、家族構成とか全部調べられていたとか言っていたような・・・ そのシーンがまた見たいです!
あすやん
本当に電波少年らしい場面で言えば、ちょうど選挙特番をやっているスタジオの隅っこで蜜柑箱っぽい机を前におふたりが「電波少年でーす!」と叫んで生放送してましたね。あれも電波少年らしいシーンでした。
OK星人
松村さんが亀井静香氏に亀の柄のネクタイをプレゼントしたら、国会の本会議場でその亀の柄のネクタイをしている亀井氏をカメラがズームして映し出したシーン。これって確か、松村さんの最後の番組内のVTRでしたよね。
雅版
年末特番の際、アイマスクとヘッドホンを装着された日テレの男性アナウンサーがフジテレビの前まで連れて行かれて、生放送をしていたフジテレビの中に潜入できたらこのアタッシェケースを開けてくれ、みたいなアポ無し企画があった記憶があります。結局潜入には失敗したので、そのケースの中に何が入っていたのか視聴者は分からず、未だにそれが気になっています。
あすやん
「電波少年的80日間世界一周」のゴールでしょうか。 確かゴールの場所をハガキで募集したら、フジテレビの日枝さん(仮名)から「V4スタジオ」をゴールにしてほしいというハガキを選んでしまい、それなりに問題になったと記憶してます(確かフジテレビ前に日本テレビが警備員を出していたのですが、その風景を日本テレビのアナウンサーさんが「フジテレビの警備さんに怒られそうです」と実況していたハズ)。
雅版
Tプロデューサーさん 渡したご本人が覚えていらっしゃらないとなると、これは永遠闇の中に…?? この80日間世界一周は、視聴者情報を特殊な端末で受信しながら世界を巡るという、電波少年Wのコンセプトに少し似ているものでしたね。 ちなみに、なすびの懸賞生活のゴール特番の最後のカットで、毛布に包まれたなすびさんの肩を抱きながらTプロデューサーさんが舞台袖へはけて行くシーンがあったのですが、そこで一瞬だけダースベーダーのテーマが流れて番組が終了したんです。当時は、てっきりあのあとまたアイマスクされて…みたいな展開を想像したのですが、結局そのようなことは一切ありませんでした。あのダースベイダーのテーマが流れる演出が一体なんだったのか、未だに気になっています??
Tプロデューサー
雅版さん そのテーマが流れた理由を思い出しました!がその企画は実現しなかったので不明になっているということです。テレビってそこまで細かく見ていただくと「作り手の隙」みたいなものが見えてきますね。
しん
やっぱり電波少年おもしろいですね! 放送、爆笑しました〜 私しか覚えてない電波少年のシーンは年末のスペシャルに私が素人ながら参加させていただいたことです(笑) 大晦日に除夜の鐘じゃなく、108つの屁をするという企画でした〜その時にいただいたトレーナーが写真のトレーナーでした。寒かったなぁ、、、何十年前か忘れましたが汐留にビルがまだ建つ前の空き地で、焼き芋食べながら、おならをしたのを覚えてます。 懐かしい〜思い出 (たぶん素人さんは5人くらいで、あと100人くらいは芸人さんだったんじゃないかなあ?素人の私は麹町までオーディション行きました。Tプロデューサーの前でおならもしました(笑))
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