「進め!電波少年」
のみんなの記憶

アイルトンせなか

アイルトンせなか

何年か前の「月曜から夜ふかし」のゴールデン特番で 日テレに過去の映像を振り返るといったものがあり 電波少年の 「ユンピョウは本当に強いのか体を張って確かめたい」の映像が使われてました 現在のコンプライアンスでは 過去に放送した映像を流す分には問題無いという事か 新たに撮るのがダメということなのか 例として 「那須川天心は本当に強いのか体を張って確かめたい」

この投稿へのコメント

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よう

よう

すいません。馬鹿みたいに長いんで斜め読みか適当読みで…。 (または全文飛ばして下さいm(_ _)m) もしくは、「コンプライアンスって言っときゃクレーム来そうなことやらなくていいから」なのか…。 一応基準はあるようだけど、それがどこまでが良くてどこまでが駄目なのかいまいちはっきりせず(はっきり公表したらその境界線ギリギリな事をされるのを恐れて?)、一方ではOKなのにそれより緩いと思うことがNGだったり…。 99年のフジテレビ「NONFIX」という番組で「放送禁止歌〜唄っているのは誰? 規制するのは誰?〜」というのが放送されました。 99年当時でも放送禁止扱いされた歌は一体誰が放送禁止と判断したのか? それは一体なぜ放送禁止になったのか?という、「誰」と「何故」を調査する企画でしたが、結論を言えば ・そもそも「表現の自由」という法律上、放送「禁止」の歌は存在しない ・ただし放送上適さないかもしれない「要注意歌謡曲」というリストが存在していた ・が、そのリストの更新は「昭和58年11月末」で止まり、「昭和62〜63年」にリストの拘束力自体消滅している とのこと。 しかも「なんで規制されたか?」が本当に曖昧で、有名なのがピンクレディのSOSの初期レコードは歌の前後にモールス信号でSOSがそのまま入ってるので「モールス信号を聞いて勘違いする人がいるかも知れない」というまだ納得できそうな理由(*1)から、 北島三郎さんのデビュー曲、ブンガチャ節は 「曲中に入っている合いの手『きゅっきゅきゅーきゅっきゅきゅー』がベットが軋む音を連想し、卑猥に聞こえる」という冗談なのか難癖なのかそもそもそれが本当の理由なのか全く不明なものまで。(だったら「おばけのQ太郎のOPはどうなるんだ?」って話に。) 結局コンプライアンスもこんなもんじゃないんでしょうか。 「誰も責任を取りたくない」からとりあえずコンプライアンスって言葉を使えば体よく拒否できる。 今のテレビ局は100万人の称賛の声よりも1人のクレームの声のみを大事にするってぐらいクレームばっかり聞き耳立てるが、その一方でクレーマーの相手をするほどテレビ局も暇じゃないし、スポンサーのなり手が少ない中でクレーマーがスポンサーにまで迷惑を掛けることから「だったらもうコンプラインス上適さない」という御老公の印籠出して終わらせとけ、って。 でも「だったら戦って打ち破ってほしい!」と言いたい気持ちもあるんですが、そんな事して番組打ち切りや最悪会社ごと出入り禁止扱いにでもなったら…。 それこそ今自分が勤めてる会社の不祥事を持って社長と闘ってこい!って外野から言われ「頑張れー!」と応援された所で、首切られるのワシやないかい!後ろ盾もないやないかい!って感じなので戦う事も出来ないでしょう。 ここからは余談なので特に読まなくても…。 実はこういう規制はTVゲームでも議論されており、法規制すべきか否か?の議論までありましたが現状はレーティング団体「CERO」がチェックし、日本のテレビゲームはCEROを通さないと販売できないと言っても過言じゃない様になってます。(*2) しかし、このCEROのレーティング基準も「何故?」と思う部分があり、一例をあげますが、 ・ある中学生探偵が殺人事件が起こった高校の調査に出かける ・その調査過程の中で校内の協力者を得る ・が、その子はバリバリの不良 ・「これから頑張って調査しようぜ!」とおもむろに一服しようとする ・探偵はタバコを取り上げ、「そんな事で本当に彼女の為の協力者になれるのか!」と一喝(被害者と親友だった) ・改心した不良高校生はそこから(面白)真面目キャラに改心し、それ以降の調査に重要な情報をくれる というシーンがあるのですが、初作はこのレーティング制度が存在してない頃に発売され、後日そのゲームがそのまま遊べるという仕様で再販された際に 「高校生の喫煙シーンがあるのでレーティングが上がります」 とのこと。 いやいや…「(未成年が)タバコ吸っちゃ駄目だ!」という教育的なシーンなのに「タバコを吸うシーンがあるから子供には適さない」って意味不明だろ!?と。 他にも中学生探偵や高校生が盛り場に出入りするシーンがある、というが事件の重要参考人の知り合いがバーのマスターでそのマスターに話を聞きに行く、というだけ。これもレーティングが上がる理由だとされてます。 その一方で国民的大人気大乱闘ゲームでは世界的に人気なキャラからメーカーの垣根を超えたキャラまで80体を超えるキャラの中から選んで戦うゲームがありますが、剣を持ったキャラがザックザク切り裂こうが、銃でガンガン撃ってやろうが、中世の拷問具で攻撃しようが 「全年齢に対して問題ありません」 という判断。(逆に際どい露出的衣装を着てる女性キャラが「レーティングが上がるから」出演見送りとか見るべきところそこか!?という状態) ここで血の一滴でも表示したら一気にレーティングは跳ね上がるんですが、「逆に剣で切られたり、銃で撃たれたりしても血の一滴も表示されない」方が表現上不適切じゃないか?子供に悪影響与えないか?と思いますが、現状のレーティングではこうなってます。 どこの業界でもそうですが、「明確な理由がない」のが一番の害悪なんですが、誰も責任取りたくないなら漠然と「コンプライアンス上」とか「レーティング」というものを持ち出してなぁなぁにしてるだけなのかもしれませんね。 那須川選手だって試合前に怪我しかねない真似するのは良くないですが、それ以外のときは普通にバラエティで体張ったりしてるしむしろ素人がけしかけた所で格闘家の那須川選手がやられるなんて事ありえないですからなんの問題もないと思うんですけどねぇ。 ----- (*1)SOSのモールス信号 ただし、そのモールス信号部分をカットすれば問題なく放送できる。 この様に「絶対ダメ」「生演奏や該当部分をカットすれば可」など3段階で区分けされていた (*2)レーティング団体 CEROはレーティングの基準自体曖昧な上に審査料が非常に高くさらに長時間待たされるまさにお役所仕事。 そのため、予算があまり掛けれないダウンロード専売や海外のインディーズゲームは「待たされる、金掛かる」のCEROのせいでリリース出来ない事が多かったのですが、国際年齢評価連合「IARC」がダウンロード専売ソフトに限って(?)こちらの審査でもOKとされるようになった為、審査料がCEROとは比べ物にならないぐらい安く(無料?)、また審査も早いので最近はこちらも増えてきてます。 この様に多少問題はありますが、TV業界でもレーティング団体が出来れば年齢制限を明確に出来、歪なクレーマーは排除できるかもしれません。

アイルトンせなか

アイルトンせなか

コンプライアンスは、あくまでも”自主規制”ということなのかな 例として放送禁止用語の「キ〇〇イ」も 差別的用語だから禁止されているというのが一般的だけど だからと言って「俺は〇チガ〇だぜ」と言っても 不適切発言として叩かれる 自分は、カズレーザーさんを「良い意味でのキ〇〇イ」だと思ってるけど これは、あいてを侮辱するわけでもなく誉め言葉だけど これでも不適切発言に該当しますよね 今から20年以上前のテレビでは 地上波で普通に男の子の〇〇コが映ってたけど 今の時代はNGですね (今の時代では、児ポに該当するのでアウトという見解もある)

よう

よう

すいません…余談を1つ。 電波少年第2回の放送、OP企画が「視聴者の皆様の生の反応を聞いてみたい」として初回の企画「松村邦洋の本名を変えたい」に対してクレームを入れてるバ…奥様の声を松村さんが直接聞いて謝罪してるんだけど、番組では爆笑の声が流れてる…と。 これも初回放送をちゃんと見てれば 「親からつけてもらった大切な名前を粗末に扱うんじゃない!」的な事をわめ…発してらっしゃるのですが、番組内ではちゃんとお父さんに企画内容を説明して「改名していいか?」と聞き、許諾受けてるんですね。しかもすっごい軽く(笑) その時点で何ら問題ないのに全く関係ない赤の他人が金切り声を上げている。 で、それを番組内で紹介し、皆で笑っている。 自分はCSで再放送された時にたまたま見れたのですがこれこそまさに「本人やその周りが納得してるのに自分が気に入らないから止めろ!」という歪なクレーム。 で、この当時はこういう演出で済んだ(後でT部長は怒られたのかな?(笑))けど、今やったら放送番組審議会やBPOあたりが「やっと仕事が回ってきたで!」と息巻いて動くでしょうね。

よう

よう

>コンプライアンスは、あくまでも"自主規制"ということなのかな 自主規制であり、思考停止させるのに都合のいい言葉…でしょうか。 先に書いたことが全てですが、本当だったら「なんで?」「どうして?」と議論を重ねて放送するべきか否か?を判断する。 でも今も昔もTVスタッフ=専門家じゃないんだから全ての内容において一々精査し、共通の知識を持ち合わせて…なんてできるわけがない。毎週・毎日番組は作り続けていかないといけない(しかも同じテーマを何日も連続で…なんてありえないわけで)。 そんな中で ・自分達がそういう内容で実際に抗議を受けた ・自分達ではない第三者がそういう内容で抗議されていた ・世界的な流れにおいて不適切という風潮になってきたetcetc ということの積み重ねが「コンプライアンス」という言葉で言葉狩りをされるようになったのではないか?と。 でも本当に「コンプライアンス」を守るなら「法令遵守」という意味なんだから「表現の自由」を守りなさいよ、って話なんですけどね。 まぁ自由には責任も伴いますので結局その「じゃあ責任者は誰だ!」となった時 の逃げ道としてもコンプラが利用されてるのかなぁ?と。 そして安易な自主規制を続けることがどういうことになるのか?を2015年9月に終了した「オモクリ監督 ?O-Creator's TV show?」という番組で暗示されてます…ってか今現実的にかなり近いことになってます。 この回のここの部分だけでもどこかで見れれば良いんですがもう見れる場所はないですかねぇ。

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