「進め!電波少年」
のみんなの記憶

Tプロデューサー

Tプロデューサー

スタッフでした。夕方のベルト5時半からの「欽きらりん530」は月?金のベルト番組。これの親番組が水曜日20時のこの番組。僕はベルトの方のチーフディレクターでこのゴールデンの方はSさんという先輩ディレクターだった。とにかくその頃の日本テレビは全部が低視聴率でその中でもこの「気楽にリン」は低視聴率だったので6回か7回で打ち切られた。夕方があったことも打ち切りやすかったのだろう。始まって3回か4回目で今日の偉い人が来て「視聴率が悪いからとにかくビックゲストを呼んでくれ」と欽ちゃんに言いに来て「ビックゲストを呼んでも視聴率なんか上がらないのにな」とその偉い人が帰った後に欽ちゃんが言ったのを覚えている。確かにビックゲストを呼んだ5回目も低視聴率で打ち切りが決まったのだった。ゲストで視聴率は上がらない、ということを教えられてそれは今でも僕の流儀として残っている。電波少年も正直ゲストなんて誰でもいいと思っていて松松の二人にその日タレントクロークでキャスティングしたのはそういうことだったのだ。

この投稿へのコメント

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翼が欲しい虎

翼が欲しい虎

勉強になる話でした。ありがとうございます。

虎野 門次郎

虎野 門次郎

「気楽にリン」の方でしたっけ?FAX電話を使った視聴者からの投稿を募集したのは。ハガキの次はFAX電話だ!って感じで、常に新しいスタイルを模索する欽ちゃんらしい番組でした。因みにその時代私はFAX電話を持っていませんでした(苦笑)

うちゃ

うちゃ

Tプロデューサーさん 当時「欽きらリン530!!」も「欽ちゃんの気楽にリン」も見てましたが、どちらかと言えば「欽きらリン」の方が印象に残っているのは放送回数のせいかもしれません。 どちらの放送も第1回に至るまでは、局をあげて相当な力の入れようだった気がします。 番組が始まって最初のうちは、お便りというか、ご家庭のニュースみたいなものを木村優子アナウンサーがニュース風に読み上げるような内容だったけど、お便りの内容を発展させたコントになると欽ちゃんの独特の世界が広がってくる瞬間があったんですよね。勝俣州和さんが良く、泣かせる演技に入ろうとして失敗して欽ちゃんからツッコミが入るパターンとかあったと思います。 個人的には「欽ドン」と「欽どこ」を掛け合わせたような番組だなあと思いながら見ていた記憶があります。ただ、夕方の30分の生放送番組というのは見ている側としても慌ただしかった。前にもこのコミュニティに書き込みましたが、欽ちゃんが声を張り上げて「ハイ、提供!」「ハイ、曲−っ!ビギニング!」と次々に進行していく様子は目まぐるしかったし、たいていのご家庭では夕食の準備などしている時間帯。ターゲットとする視聴者層って誰なんだろうかと不思議に思ったのもまた事実。 この番組で特筆すべきは、番組のエンディングで、次の番組の「ニュースプラスワン」の真山キャスターがワイプインしてきて掛け合って、そのままニュース番組に切り替わるところ。 生バラエティの中で、その後のニュース番組の紹介が入るのはフジテレビ「夕焼けニャンニャン」の途中でMCが「では報道センターの逸見さん!」と呼び掛けて、ニュース項目を紹介して「このあと6時のニュースも見てください」というあのコーナーを思い出すわけですが、日テレさんは夕方のメインのニュース番組直前のCM枠を取っ払ってまでクロストークをやっていて、なんだかすごいなあと思ったものです。 「茶々隊」から「CHA-CHA」となって、毎回デビュー曲の「ビギニング」が歌われるようになった頃には、「CHA-CHA」はすっかりアイドルになっていましたが、当初の番組コンセプトからズレが生じてきているのが見ている方にも伝わってきてました。そのうち番組も生放送から録画になっちゃいましたし。 松原桃太郎さんと西尾拓美さんはその後、静岡ローカル番組の「JANJANサタデー」のMCに出世したようですし、何かと出演者達が世に出る良いきっかけになった番組であることには違いないのですが。

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