
電波少年Wコミュニティスタッフ
みなさん、こんにちは。コミュニティスタッフのワウ子です。 「電波少年W コミュニティ」は、世代は違えど、それぞれが持っている「強烈なテレビ番組体験」をおしゃべりするコミュニティ。 そして、こちらのお部屋「テレビトークルーム」は、「電波少年W」の放送やテレビ全般について、自由におしゃべりしていただくお部屋です。 オーナーの私ワウ子からのトピックやアンケートに、ぜひ気軽に回答してみてくださいね! また、他の参加者の方に「聞いてみたい!」「話したい!」ということがあったら、ぜひ「掲示板」の「新しいトピックを立てる」ボタンから、おしゃべりを始めてみてください♪ さて、最初のテーマはこちら! ★:*:☆・∴・∴★:*:☆・∴・∴★:*:☆ あなたにとって忘れられないテレビを教えて! ★:*:☆・∴・∴★:*:☆・∴・∴★:*:☆ 例えば... ======== 「安室奈美恵さんが最後に出演したNHK 紅白歌合戦ですね。もう2年前なのか... 真っ白なドレス姿今でもよく覚えてます。」 「24時間テレビで欽ちゃんがマラソンランナーとして走った瞬間が忘れられない。番組初期に司会をしていた欽ちゃんは自分と同世代で、徹夜で24時間テレビを見ていたことを思い出した。」 ======== などなど、自由におしゃべりしてくださいね^^ ▼投稿はこちらから https://cs.beach.jp/scu/8i07 ▽投稿方法の確認はこちらから https://sp.beach.jp/DENPA/howtouse/pc/index.html それでは、みなさんからのたくさんの投稿をお待ちしています! (コミュニティスタッフ ワウ子)

ふみ
1999年頃にフジテレビ系列で放送されていた“電波少年風”の番組『トロイの木馬』の中の企画『佐藤VS鈴木 日本縦断無銭サイクリングレース 』が忘れられないです。佐藤と鈴木の2人の素人の方がそれぞれ北海道から沖縄までどちらが速く行けるかという企画ですが、道中ではそれぞれ同姓の方(佐藤、鈴木)からしかご飯や泊まる場所を頼んではいけないというルールですが、鈴木さんの方が素人にも関わらず9日間も絶食し、彼が道端で号泣してるシーンは20年以上経った今でも忘れられないです。(そういえば電波少年も番組内で「電波少年的トロイの木馬。んー??」とナレーションだけですがいじっていましたね。あのシーンも忘れられないですね!笑 )

そのうちS
自分が幼少の頃に放送していて、ぼんやりとした記憶しかない「クイズ世界はSHOWbyショーバイ!!(1988?1996)」が見たいです。後に特番とかでやる懐かし番組特集で取り上げられていたのを見たり、ウィキペディアなどネット界隈で色々調べて知ることができたのですが、改めて映像で振り返って見てみたいです。「ミリオンスロット」「さあみんなで考えよう」などの名セリフや、「何を作っているのでしょうか(製造過程のVTRを見て物を当てるクイズ)」「順金クイズ(値段の高いものと低いものを当てるクイズ)」、逸見VS山城対決SP、4時間クイズスーパースペシャルなど言い出したらキリがないです(笑)。願わくば、当時プロデューサーで現日テレ社長の小杉さん、番組演出の五味さん、立ち上げスタッフの菅原さん(ハウフルス)などテレビの帝王として来ていただいて、当時の話も聞きたいです。土屋さんをはじめ、AXONスタッフの皆さん、是非よろしくお願いします!!

なおたろー
ウッチャンナンチャンのウリナリのオープニングCGが忘れられないです。ウッチャンがクビになり補欠からのレギュラー復帰をかけたときの番組オープニングCGがナンチャンのナリだったのが今でも忘れられません。

juntsuka21
水谷豊さんの少年時代に酒宴をなさった手塚治虫先生原作の『バンパイヤ』が忘れられません。当時画期的だった、実写とアニメの合成など、ずーっと後に『ロジャー・ラビット』を観たときに、「斬新!」と評価されながら、わたしの内では『バンパイヤ』の方がずっとずっと先行していたもんね!と思っていました。 水谷豊さんもミステリアスで、孤独で、不遇な役がピッタリはまっておられました。こんな俳優さんがおられるんだ!とビックリしたものです。今では、すっかり杉下右京役がはまっておられる水谷豊さんですが、『バンパイヤ』の水谷豊さんは、飛び抜けた感がありました。水谷豊さんは、実は本当に「人狼」なのでは?と思わせるほどの演技力でした。 ぜひまた観たいです。

juntsuka21
猿岩石のユーラシア大陸横断は、私の人生を変えました。それまで国内指向だった私の方向性を変え、アメリカで五年間移住してきました。その後、東南アジアをはじめ、猿岩石のたどった各地を訪ねて、今まで知らなかった東南アジアの魅力を再発見しました。もちろん、元ネタとなった『深夜特急』も全巻読破しました。素晴らしい企画だったと思います。 その後、猿岩石のユーラシア大陸横断をヒントにしたさまざまな番組が生まれてきましたが、予算の関係などで、あれほどの新鮮さを感じることはできません。有吉さんも今は超売れっ子になられましたが、私は大陸横断をしながらだんだん壊れていく有吉さんが大好きです。もしかすると、あの時の輝きが、有吉さんの芸人としての最高値だったのではないでしょうか。今はなんとなく上手に回していて人気も高いですが、あの「マジで壊れていく感」は、芸人としての命がけの必死さが伝わってきて、大好きでした。

しずく
60歳の私が小学生低学年の頃にテレビでやっていた「ケロヨン」が主人公だった「木馬座」の 劇をもう一度見たいです。 テーマソングが「クルクル・カッポン・カッポンポン」という歌だったような。 どなたか覚えていませんか?

つーーとん、ぴ
「ザ!コント55号」(昭和58年頃・テレビ朝日)の一回目が見たいです 。 のちに「たみちゃん」と改題され、欽ちゃんファミリーの若手中心の番組になったのですが、当初は、欽ちゃんファミリーブームの頃にコント55号が久々に番組を始めるという事で、当時を知らない私たち世代は度肝を抜かされました。特に第1回目のそば屋のコント。 のちに55号のDVDが発売され、残っている55号の様々なVTRは拝見したのですが、比較的最近のこの番組は記録されていませんでした。 40代頃の55号のおそば屋さんコントがまたみたいです!

Tプロデューサー
つーーとん、ぴさん そんな番組があったんですね。僕は全く知りませんでした。欽ちゃんは本当に思いつきでいろんなことを始めて思いつきで変えますからすごく短いものもありますね。欽ちゃんがその時のスタジオのお客さんの笑い方で翌週から変えていきますからどの局のスタッフも大変だったと思いますが必ずどこかに行き着くと信じてみんな死に物狂いでついていくんです。

つーーとん、ぴ
ご返信ありがとうございます! 私の記憶では、欽ドン欽どこ欽曜日がある中、この火曜9時に、特番だった「欽ちゃんのそーっと歌ってみよう」が欽ちゃん抜きでレギュラー化され、やがて「わがまま気ままベストワン」になり、そして「ザ!コント55号」で欽ちゃん二郎さんが登場し、何回か後に55号はいながら「たみちゃん」になり、いつの間にか55号も抜けた「たみちゃん」になっていました。 同時期に日本テレビでまた欽ちゃん抜きの「日曜9時は遊び座です」が始まったけど、5回目くらいから欽ちゃんが出始める、みたいな感じだったかと。 関わっていた夜9時台の番組が5本並んでいた頃で(全部見ててすげーなーと思っていました)、この直後にお休み宣言をされた衝撃が忘れられません。

うちゃ
富永一朗さんと鈴木義司さんのやりあい、お互い相手を空き地の土管に住んでる漫画でけなしたり、札束を持って金持ちぶったりがお約束でしたね。 毎回、極端なタレ目で描かれる司会の柏村さんも懐かしい。「だん吉なお美のおまけコーナー」も好きでした。 マンガ道場つながりで思い出せないことがあってお尋ねしたいのですが、 以前、何かのものまね番組で、富永一朗さんに見た目も結構似てる人がものまねをして「鈴木さんの奥さん、オッパイ出しちゃイヤーン」とやってた人を見たことがあるのですが、この人が誰だったのか、できればもう一度このものまねを見てみたいのです。何か御存知の方は教えてください。

しんまつ
月曜深夜に日本一早いモーニングショーと謳っていた「グッドモーニング」。大島智子がMCで、中村ゆうじとか、小川菜摘とかが出ていました。水島裕子のてんぱいぽんちん体操、もう一回見てみたい。 同じ時間枠で水曜日にやっていた「うそっぷランド」も懐かしいな。

ツクモヅラコ
HTB 北海道テレビで、昔放送していた 伝説の番組、モザイクな夜を見てみたいな〜! 大学生時代の大泉洋や、昔の鈴井さんや藤村さんがヤバいこと、やりまくってたって 伝説の番組だからお願い見せて?

テロップ屋
今を去ることおよそ45年前の1975年12月31日(水)大晦日、NHK紅白歌合戦に対抗すべく日本テレビが放送したのが「コント55号の紅白歌合戦をぶっ飛ばせ! なんてことするの!?」(「水曜ロードショー」枠(21時00分?22時54分)。 冒頭、コント55号メンバーの欽ちゃんこと、萩本欽一欣氏がモニターに表示される提供テロップを見ながら「この放送は、味の素ゼネラルフーヅ、ニコン、ホンダ・・・」とスポンサー名を読み上げます。 すると、やんやの拍手と歓声そして雄叫び。 私が作った提供テロップのスポンサー名が読まれる度に会場全体が盛り上がるのです。 それをオンエアチェックしていた私は打ち震え、テレビにかかわるこの仕事に就いて良かった、これからもこの仕事頑張ろう、と思った忘れられない瞬間でした。

みやびい
忘れられないテレビ。どうしても若い頃の、今から考えれば無法地帯とも言える深夜放送に頭がいってしまいます。 その中で特に思い出されるのがテレビ朝日の『グッドモーニング』。様々なコーナーがありましたが、てん・ぱい・ぽん・ちん体操は強烈でした。なんと水島裕子さんと一緒に大学の正門前で踊ったことがあるのです!サークルのみんなとの出演でした。水島裕子さん、かわいかったなあ。柔らかそうな、ホットパンツに包まれたおしりと、そしてツンツンとした・・・忘れられません。 その後私は卒業・就職し、疲弊した頃、都営浅草線の中で、偶然、水島裕子さんが隣に座ってきました。びっくりして、あのーと声をかけようとしましたが、声が出ませんでした。今でも悔やまれます。

milkyway
アニメですがボスコアドベンチャーというアニメが好きでした。ラスト、フロークとアプリが好きあってるのに王女として枯渇した国の水の精ととなり生命の泉が復活、別れというストーリーがせつなくて。そして敵だと思ってた奴が本当は消えてしまうことを阻止する為に誘拐監禁し国へ戻らないようにしていた事がわかった時もせつなかった。当時子供だったがこのアニメだけはずっと覚えている。再放送もしてないのでしてほしいと願っている。

igazugi
なんと言っても、バラエティー番組の元祖的存在と言っても過言ではない、天才たけしの元気が出るテレビ?? 岩手高校アイスホッケー部や、一般人をドラマの主人公に展開する、超えこひいきドラマ。芸能人と共演させる内容で私が1990年当時在籍していた立正大学を舞台に収録があり羽賀研二さん生稲晃子さん大泉晃さん等大学所在地の熊谷市に上陸いただいて盛り上ってたこと。 番組の与える力、テレビの影響力、とてつもない底力を思い知らされた脳裏に強烈にこびりついている決して忘れることのない大事にしたい青春の1ページ?? 東北のかた田舎から上京し民放は日本テレビとTBSしか視聴できない地域事情。それ以外は文化放送、アイドル雑誌から情報入手するのが精一杯だった時代が、今となればテレビに注目させてくれた時代だから鮮明に記憶してる理由なんでしょうね。

エイチ
忘れられないテレビ番組と言えば、たくさんありますけど 今一つ挙げるとすれば 国分太一・美輪明宏・江原啓之の「オーラの泉」です。 ゴールデンでやってた時期もあって ああいう悩み相談的でスピリチュアル的で 社会への批判的なことも発信するような番組って 今テレビでなかなかないよなぁと思うのですが。 それまで自分自身いろいろ悩んだりしていたのが ゲストの人とのやりとりを見て、ちょっと心が軽くなったりしたのを覚えています。 江原さんがゲストのことを霊視して守護霊の話とか色々言うわけなんですけど、 美輪さんがコメントすることで説得力が増したり TOKIOの国分さんのMCも好感が持てて、3人のバランスもちょうどよかったように思います。

tnobu
1992年フジテレビで放送された 1億2000万人の平成教育テレビ (現在の27時間テレビ) その前の年にビートたけしによって車を滅茶苦茶にされた明石家さんま。 その仕返しをしようと、日テレのスーパージョッキー放送終わりからフジテレビに戻ってくるビートたけしの車を壊そうとブロックを持って待ち構えるさんま。 しかし、現れたのは自転車に乗ってやってきた助六姿のたけし。 そのまま、さんまの車に激突! その後は、お約束通りにたけしがさんまの車を滅茶苦茶に!ゲラゲラ笑った! 今の時代では出来ないでしょうね。 ビテオに録画して何度も見ましたね。 もうテープ残ってなくて見れないのです。

よう
確か20〜30年前ぐらいのお昼14時台ぐらいのワイドショー。 夏場になるとこの時期は心霊コーナーが増えて、猫も杓子も皆心霊写真出しては「これが霊です」ばっかり…。 子供心にうさんくさ…なんて思ってましたが、そんな中でMBSで放送されてた番組内の一コーナーでは心霊写真を募集し、その写真にまつわる話をスタジオで披露したあとでプロのカメラマンが出てきて「それではVTRを御覧ください」みたいな流れに。 で、その写真を撮った場所(撮影者含めた立ち位置や角度までほぼ正確に)と時間に合わせてそこで再度撮影。 すると見事に元の写真に近い心霊現象っぽい写真が撮れてる。 そこでカメラマンが「この写真は逆光でこうなった」とか「写真を撮影した時に偶然消えたとされる足だけ動かしてしまったから」とか「これはわざとシャッタースピード変えて撮ってますね。意図的に作られた偽物です」なんて次々に暴露していく。これが子供心に面白かった記憶があります。 コーナー自体が不定期で番組名も完全に忘れてしまい、14時台のMBSだったような…ぐらいのうろ覚えなのでこれすらも間違ってる可能性あり。(MBSは間違いないと思うのだが…) 誰か分かる人、またはそんな記憶が薄っすらでもある人いるかなぁ??

Gossow
1993年フジテレビ深夜に放送されていた「たほいや」 広辞苑というゲームに縁がなさそうなアイテムを使って、 言葉遊びのゲームをたくさんのゲストがプレイしていました。 参加者の機転や工夫があり、なんて頭の回転がはやいのかとひたすら関心しました。 負けてきてチップがなくなると、質草としていろいろな私物を出したり、料理をふるまったりと、楽しかったです。

馬場
電波少年では ・電波子1〜28号と8/15 同窓会やりませんか。 ・雑誌「マルコ・ピーロピロ」「週刊ピーロピロレス」 マルコポーロにはダマされましたな。 ・放送2回目(だったと思う)で、視聴者からの 番組の感想を電話で受けていましたが 「ウッチャンナンチャンの方が面白いんですけど......」 とか普通に言われてましたな。 ・ジャイアント馬場さん見てたら電話ください と放送で言ったらインチキ馬場から次々電話が。 「もしもし、アポッ......馬場だけど......」 電波以外では ・人工衛星クイズ(日テレ) 日本から衛星中継のリモートで外国にいる 山下真司(若い!)を操作して宝探しをするという 壮大(なのか?)な番組。 ・大東京24時間鬼ごっこ(フジ) ボードゲーム「スコットランドヤード」を現実の 東京23区でやるというホイチョイプロが仕掛けた番組。 鬼チームの司令塔がなぜか俵孝太郎で 他には高橋名人とか出てましたな。

みすか太郎
「鶴瓶上岡パペポTV」は、鶴瓶さんと上岡さんの間に赤い吸い殻入れの缶をおいて、タバコを吸いながらトークをしていたのが時代だなと思います。鶴瓶さんが禁煙しようとすると、上岡さんは「禁煙しようとするもんは意志が弱い」といじっていましたが、最終的には二人ともやめたような気がします。それも時代の流れだったのでしょうか。

カデジャ
ダウンタウン、ウンナン、清水ミチコ、野沢直子の「夢で逢えたら」がまた観たいです。コントが本当に面白かったです。 特に観たいのが、みんなでミュージカルみたいなのを、やったコーナー。 ウッチャンが、桃太郎侍になって、ポンポンポンとか言いながら、登場するシーンが、ずっと頭に残っていて、また観られたら嬉しいな。

こた
『ひらけ!ポンキッキ』での衝撃的なシーンが忘れられません。 「水を入れたやかんの口を塞いで加熱するとどうなるか?」という実験で、広い場所にコンロを一台置き、加熱し始めるのです。水蒸気がシューシュー漏れ、ガタガタと震えるように音を立るなどいかにも危険な状態で、ガチャピンの「さらに火を強くすると…」とナレーションが入った途端、画面が真っ白に、「バーン!」という音が響き、次のシーンではガチャピンとムックが無惨に破壊されたやかんを手にして「こわいねー」「絶対マネしないでね」とか言ってたのです。マネするか! 当時幼稚園児か小学生低学年だったと思いますが、トラウマになるほど怖かったです。怖いもの見たさでまた見てみたいので見せてください。幼児教育番組でここまで攻めた演出を他に私は知りません。

広島のテレビっ子
ウッチャンナンチャンやるならやらねばの、ナンチャンを探せ。 「ウォーリーを探せ」にハマっていた小学生にとっては、抜群に分かりやすくて面白かった。特に、テトラポッドに扮している回は秀逸だった。 あとは…投稿特ホウ王国の魔球。少年がメチャメチャ曲がる球を投げててありゃなんだ!とたまげました。ネット上では「ヤラセだった」と判定されちゃってますが、そんなことはどうでもいいです。開き直って大真面目に検証することがバラエティになるような。 野球つながりでさらに。 万年B組ヒムケン先生の、ケブくん。 プロ野球選手を目指してる素人さんのヤバさとピュアさを暖かく見守るという、新しいジャンルの笑いの世界があった。

尼酒サイダー
日曜夕方にやってた(笑点前)15分ぐらいの番組で、天声人語とかやってた枠。とんねるずの番組をやってました。 3分クッキングのコントで、ホントに3分でプリンを作ってました、よく覚えてます! 誰か覚えてる人、居るかな〜?

dob0609
地上波ではないのですが、開局間もないMTVで放送されていた過激なアニメ「ビーバスアンドバットヘッド」です! DVD化されていますが、放送版とは字幕が異なるらしく、あのクセのある字幕の放送版をもう一度見てみたいです…

SIMEONE
パイロット版?なのに日本テレビの 木曜スペシャルで2回?かな 放送された番組が忘れられません。 当時まだ役者としては そこまでブレイクはしていなかった山下真司さんが トレジャーハンター的に世界中を飛び回り、 衛星中継で繋いでスタジオからゲストが指示を出し お宝を見つける的な内容でした。 観ていてワクワクしましたし 次回放送を楽しみにしていたのですが、 あまりにもお金が掛かりすぎるからなのか 3回目以降は放送がなかったと記憶いています。 あまりにも鮮烈な印象だったので 他の方が既に書かれているかもしれません。 既出でしたら申し訳ないですが、 いまだに観たいと思っている番組です。

うちゃ
「天才・たけしの元気が出るテレビ」は忘れられない番組です。企画が雑多で、一回で終わるものから数週間にわたって続くものまで、やらせっぽいものからリアルっぽいドキュメンタリーみたいなものまで、スタジオトークとVTRのバランスが絶妙で飽きさせない。この番組出身の有名人も数知れず。 もう一度見たいコーナーもたくだんあるなあ。

うちゃ
Tプロデューサーさん コレが知りたいルームにも書いたけど、今、一番見たいのは、色々思い出せなくてモヤモヤしてる、高校の卒業式にどうしても女子の制服を着て出席したい男の子の願いをかなえてあげた企画です。 LGBTの問題が動き出している昨今、勇気を出して希望の性別の制服を着た話は、現在、様々な理由で行動をためらっている該当する学生に勇気と希望を与えると思いました。

うちゃ
あら?「元気」だとばかり思ってたんですけど?記憶違いだったら申し訳ない。 似たようなものとしては、 これの数年後に「追跡」だったか、日本テレビの別の番組で、女性になりたい名古屋?の高校生の密着ドキュメントもあって、高校の卒業式(家庭用ビデオで撮影した映像、本人の顔を除きほとんどボカシ、本人は男子として男子制服着用)のあと、いわゆるタマ抜きとか豊胸手術の映像まで追いかけたドキュメンタリーも見た事がありますが、女子の制服は着てないから別人だと思います。 (確か「追跡」が放送終了で、その後が追えないという事でしたが、数年前に何かの特番で当時の番組の映像を交えて、現在は母親と暮らして美容関係の社長?になっていたのを紹介した番組がありました)

うちゃ
元気が出るテレビの「女子の制服を着て卒業式」でちょっとだけ思い出したことを。 放送されたのは1988年の春以降かと思います。外出していて帰宅したらVの途中というか、ほとんど最後の方しか見られず、経緯がまったく分からないままV降り、スタジオトークで、その時からモヤモヤしてました。 誰か覚えている方はいらっしゃいませんか?

tanya
三宅裕司さんと山瀬まみちゃんが司会だった 「テレビ探偵団」という番組がありましたよね。 意外な人が意外なドラマに出ていたとか、 懐かしいCM特集とか。 再放送はさすがに難しいかも知れないけれど、 復刻版とか、一夜限りのとかあればいいなぁ。

うちゃ
日曜日の夜7時半からやってましたね。これを見てから、8時から元気が出るテレビ!を見てました。 番組内で三宅さんが、他局から映像を借りるのに結構お金がかかるとか、古すぎると局に映像が残ってなくて、関係者が個人的に家庭用ビデオで放送波を録画したものを見つけてきたとか言ってました。

tanya
うちゃさん おおお覚えてる人がいたvv そうそう、三宅さんが歯に衣着せずに テレビ界の事情的な話もしてらっしゃいましたね。 某8チャンネルは特に貸してくれないらしいです。(こそこそ)

うちゃ
tanyaさん 当時、私の友達が、泉麻人さんが本名で出てる理由が知りたいって言ってたのを思い出しました。私自身は、冗談画報の人だよなーと思いつつも名前が違うので、一人で混乱してました(笑)

あすやん
どうしても芸術系の大学出身なので、美しい番組セットの思い出という形になってしまいますが、これも山の賑わいという事でご勘弁いただければ。 1:「最大公約ショー(毎日放送)」 ホリゾントの使い方、モニターの使い方(当時生ダラなどで使っていた16面マルチを2分割し、スタジオの上手・下手側に配置)も上手ければ、「契約者の手形を取る」という場面では舞台の床からそのまま持ち上がってくるという潔さ。照明効果も舞台的で少ない予算(在版局ですから)でここまでやるのか!と思った次第。あ、番組内容はこれといって覚えてません(笑)。 2:「とんねるずの生でダラダラいかせて!(日本テレビ)」 コロッセオをイメージした円形のセットに嫌味な位の電飾とネオン管。一時あったディスコのようでした。薄目にすると青いネオン管と豆電球が滝のように見えて美しかった。最初のスペシャルの時、そのネオン管が虹色になったのですが、明らかにやりすぎだったのか次のスペシャルでは普通になりました(笑)。確かこの時の電飾(文字が出るようになっていました)と同じシステムをスーパージョッキーでも使っていたと記憶しています。 3:「笑っていいとも!」 スタジオアルタという制約がありまくりなところでお祭りを毎日やるというだけでも大変なのに、何回セットを変えても「いいとも」だと認識できるぐらいインパクトがあるセットでした。いいともの生放送直後の数分で「いただきます」にセットチェンジしていたというのも今となってはすげえな、って思ってしまいます。あの頃のテレビ番組は何だかわからないパワーがありましたね。

しろたま
若い頃の菅野美穂さんモックン が出ていて何か 最終的にlobotomyみたいなお話。 もう1つ 元TOKIOの山口くんと西村和彦さん、高島兄さんの絡みがあってBLっぽかったドラマ もしかしたら、同じ時期か同じドラマかもです。 (今なら放送出来ないかも?)

広島のテレビっ子
今や幻の夕方生バラエティ。 中学生の頃、フジテレビ「シブヤ系うらりんご」を見るために部活もそっちのけで帰宅していました。特にナイナイが出ていた金曜日は最高で、当時も表現的にはアウトだったんでしょうけど、うらりんギャルのパンチラが見たいばかりに… そんな番組のテーマ曲がスピッツのロビンソンとか、今思えばイカれてるな、と思いますが、そこの雑さも含めていい思い出です。レコード会社や芸能事務所との行政など、当時は理解すべくもなかったので。

うちゃ
懐かしい! 当時のフジテレビは「夕ニャン」後にもう一度夕方の生放送番組で盛り上げたかったのだな、と思いながら見てました。華原朋美さんが"遠峯ありさ"という名前で出てたのを覚えています。

広島のテレビっ子
夕やけニャンニャンとか、オールナイトフジ、とか、バラエティ史を語る上での重要番組をリアルタイムで見てた世代の方々が羨ましくもあります。 DAIBAッテキとかも、懐かしいです。関東ローカルなので見てなかったですが…

うちゃ
オールナイトフジねえ。石橋貴明さんがスタジオカメラを倒して壊しちゃった事件が有名すぎますが、他にも今の時代では放送できないだろうなー、という内容盛りだくさんでした。 当時話題になっていたテレビ朝日「ニュースステーション金曜版」の「金曜チェック」を模したコーナーを片岡鶴太郎さんがやっていたのが特に記憶に残ってます。 (父親に扮した鶴太郎さんが「お父さんはお風呂に入ろうかな?」と言いながら家族がいる食卓の前で全裸になるシーン) 最終回だけはビデオで録画して保管してますが、今見ても、お祭り騒ぎな雰囲気は見てるこちらまで気分が高揚します。

うちゃ
日本テレビで「11PM」の後番組として始まった「EXテレビ」って覚えてますか? ローバー美々さんが出てた番組と言えば分かると思いますが、曜日ごとに趣向が違って飽きませんでした。 三宅裕司さんが司会で、ルー大柴さんが男子学生寮の全体が見える場所から生中継して、「いいかお前ら、部屋の電気消せ!」と消灯させ、「○○した奴、電気つけろ!」と、テレビ越しにアンケート?してたシーンが忘れられません。 他にも、視聴率調査の機械の実験と言って、上岡龍太郎さんと島田紳助さんが司会の曜日で、「EXテレビ」の放送終了後に教育テレビにチャンネルを合わせるように呼びかけたり、スタジオでひたすら他局の番組を生視聴するだけの回とか、実験的な内容が面白かったです。

獅子丸
ウンナン世界征服宣言でウッチャンがUFOを1000回する挑戦企画がバカバカしくて面白かったです。 あと、同じ番組でウッチャンがその年のニュースの現場に行って写真を撮るという企画とわらしべ長者企画もまた見たいです。

雅版
「西村雅彦のさよなら20世紀」。21世紀なる前、20世紀に残していくモノに感謝しながら爆破する、という当時のフジテレビらしい番組。爆発する様を様々な角度と様々なカメラで撮る、今考えてもよく意味の分からない番組ですが、記憶にしっかり残っています。

かがやき
笑っていいとも!の最終回で、タモリさん、さんまさん、ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、とんねるず、爆笑問題、ナインティナインの今も尚お笑いを牽引し続けている芸人さんが一同に返した場面。 これが本当の「夢の共演」。 実は、この最終回は録画してあるんですが、アッコさん、松村さん、土屋さんでこの最終回について話をしてほしくてリクエストします。 よろしくお願いします!

ぴこし
ウッチャンナンチャンのウリナリが今でも強く印象に残ってます?? 中でもポケビの署名活動?? 小学生だった当時、友達とちゃんと署名したか確認し合ったのが懐かしいです?? 確かファンのご自宅に伺ってその場でライブもしてましたね?日本中の視聴者があんなに団結してたのって凄いなと思いました??

プレサポ
「少年頭脳カトリ」 謎の映像がバグったようなのちに脳内の香取さんと、大竹まことさんとかがひらがなのカードを出し合って「無意識」にしなきゃいけない 意味のある言葉にしたら負け! なんですけど適当な意味をつけられて香取くんが大体まけて大邪念様というのが出てくる 大邪念さまは多分映画「TRON」のマスターコントロールプログラムのオマージュなんじゃないかなー この話誰も覚えてないんですよねー

プレサポ
(タイトル忘れました) 板尾さんとホンコンさんがSFちっくな設定で並んでいて「今」普通にあるものを「未来」の研究者がタイムスリップして「アンドロイド?」設定の女性タレントを過去に送り込んで調査、その結果を聞く番組。 なんかの弾みでそのタレントさんが過去体験した男性の「あれ」のサイズの話になって 「ヴィダルサスーンのヘアスプレー缶」って言いまして 板尾さんが 「あれそれで!?お前は怯んだのか?挑んだのか?!」 と。 で「挑んだ…」との回答 板尾さんが「なんだと!そそ、それで!どうだった!」というとその女性タレントさんが 「えーと、ヴィダルサスーンは 『プロの仕上がり』」 とぶっ込んで終わったんですよねー 今絶対考えられない

よっぴ
「アメリカ横断ウルトラクイズ」 「今世紀最後のウルトラクイズ」で福留アナが「電波少年の視聴率を超えたら来年もやります!」と言っていました(テレビではカットされていましたが)。それはかないませんでしたが、ウルトラクイズでやったバカバカしいクイズ形式を集めてやってほしい(トマトクイズ、エアロビクイズ、罰ゲームが戸塚ヨットスクールネタ・・・etc).

tealc
ドラマ、音楽、数々ありますが、折角なので敢えてのバラエティ番組で。 「見ごろ食べごろ笑いごろ」「笑って!笑って!60分」小松政夫さんを偲んで... 「コント55号のなんでそうなるの?」欽ちゃんよりも二郎さん派だった(笑) 「カリキュラマシーン」放送が朝学校に行く直前だったので確かいつも途中までしか見れなかった。勉強なんだかコントなんだか朝からゲラゲラ笑って学校に行って楽しかった。 「カックラキン大放送」関根勤さんがカマキリをやってた頃。西城秀樹と野口五郎が交代で刑事をやってた。 「金曜10時うわさのチャンネル」タモリさんと所さんの初回が見たい。 「巨泉×前武ゲバゲバ60分」 昭和の古い世代の私です(笑)

獅子丸
番組名も企画目的も覚えていませんが、20年ほど前に、芸人が銭湯の煙突の上に登る番組がありました。命綱もないように見え、とても危険だなと自分的には衝撃でした。夜遅めの番組だったように思います。テレ朝だったような気もします。 何の番組かお分かりになる方いらっしゃいますか?また、その場面をもう一度見てみたいです。よろしくお願いします!

sugaya
1988年、ABC朝日放送で始まった「探偵ナイトスクープ」勇退されるまで、上岡龍太郎さんが探偵局長をされてましたが 自分が住んでいる関東のテレビ朝日がネットしなかったから、1?2ヶ月遅れくらいで、関東のUHFローカル局がネットをはじめて 自分の住まいの千葉県、千葉テレビ放送でもネットが始まり、普段接していない関西のコテコテな展開に笑いながら見てました。 で、もう一度見たい場面は、(当時)探偵員の一人、桂小枝さんが訪ねた視聴者の依頼、 生卵をレンジで調理するとレンジの中で卵が爆発する、爆発しないように調理する方法があるか?を視聴者と小枝さんが レンジが爆発で故障、違うレンジを用意しつつ、ゆで卵を作った。 それを見てみたいです。

コスモス
泉麻人さんが司会をしてた 冗談画報 米米CLUBが出てたり 売れる前のアーティストが、沢山出てました。 この番組で「ワハハ本舗」が ライブハウスで、舞台一面に引き詰められた 魚の「サバ」を踏みながら 踊っていたのを見て、 「私には分からない笑いだ・・・」 インパクトだけだったのかな? よく、会場を貸してくれたなぁ〜、 ライブ後、サバ・・・臭かったはず(*ノωノ)

雅版
「フードバトルクラブ」。テレ東で大食い番組がヒットした頃、TBSがその育て上げたコンテンツを昇華させたような番組。「大食い」を「競技化」し、1000万円を掛けて本気の勝負をさせる姿は見応えあるモノでした。中でも、2リットルペットボトルの水を一瞬で飲み切ってしまう選手の映像は脳裏に焼き付いています。

Saya
ポケットビスケッツの伝説の武道館ワンマンライブが見たいです! 千秋さんへのドッキリも、お客さんの大合唱もあの日のライブも最高中の最高でした! 久々に昔撮ったビデオを掘り返しましたが画像が悪いので、是非掘り出して綺麗な画質で放送して頂けたら有難いです! 録画して永久保存版にします!

雅版
「電波少年的 箱男」の初回放送。1辺が1m20cmの箱の中に、人を信じることのできない芸人が閉じ込められ、道行く人を信じて手押しして貰いながら、鹿児島佐田岬から東京まで戻ってくるという性格矯正企画(途中でルール変更)。今となっては絶対に出来ないであろうこのコンセプトがたまらなく好きでしたが、道路交通法に引っかかってルールが変わってしまった時、物凄く残念に感じたことを今でも覚えています。 箱に閉じ込められる時「海に落とされたりして死なないですか?」と質問する芸人に対して「そんな悪い人は居ない」と答えるTプロデューサー。ところがそれに対して「死んだら僕が正しかったということですよね」と芸人が言い返す場面は屈指の名シーンだと思ってます。

獅子丸
僕もこの企画は印象に残っています。 まず、こんな狭いところに長期間閉じ込めると、日光浴びないから病気にならないの?箱を出た時に歩けるの?精神がおかしくならないの?と色々と思いました。坂道での事故も心配しました。こんなこと書くのは失礼ですが、ガチでやってるのかな?とも思いました。 確か、途中でTプロデューサーが鹿児島県警に呼ばれて注意され、企画内容が変わったと思います。 今現在、箱男をしていた人は何をされていて、また改心はしているのでしょうか?

雅版
「阪神大震災」の被災者にインタビューしていた時、その側を偶然スクーターに乗って通りかかったご家族に、自身の母親の死を知らされ、悔しさのあまり叫んで瓦礫を蹴飛ばす男性の映像。大災害では毎日のように死亡者の数字が発表されますが、その数字の裏には、これだけ悲しい想いをされてる遺族がもっと大勢いらっしゃるんだと感じさせられた映像でした。

雅版
「東日本大震災」が起き大津波が発生した直後、黒い海水が田畑を飲み込んでいく様子をヘリコプターから撮影した生中継の映像。テレビ越しでも、この世のものとは思えない恐怖が伝わってきたことを約10年経った今でも覚えています。その数日後、福島第一原発が爆発したというニュース映像が流れてきた時は、生きた心地すらしませんでした。 きっと、震災後10年ということで、今年は各局様々な追悼番組を放送すると思いますが、あの震災後の自粛を終えて再開したバラエティ番組の独特の空気は、きっとそのような番組では伝えられないと思います。「ホンマでっか?TV」だったと思いますが、番組の収録で他の芸能人と再開できたことをマツコさんが心底安心している様子もとても印象に残っています。それは当時、日本人がどんな気持ちで日々を過ごしてきたのかがリアルに分かる映像だと私は考えています。

コウ
◯元気が出るテレビ ・寝起きバズーカ(サンコン編) ・勇気を出して初めての告白(稲森いずみが出たとき) ・パンチパーマ軍団 ◯とんねるず生でダラダラ ・木梨憲武VSラモスのPK対決 ◯電波少年 ・当時の総理 村山さんの眉毛を切るシーン ・椿ふなこさんの広告を見て安いスーパーに買い物に行く企画(第1回) ・Rまにあの無人島脱出企画(第一回 土屋Pが飯おごるからノリなって行ったとこから無人島に連れて行くまでのシーン) ・電波少年インターナショナル キャイーンのおつかい「ドイツ、オランダ編」 ・出川オーストラリアで初姫ごと。 ・電波少年インターナショナル 羽田えりかのスリッパでせいばいする企画 ◯オレたちひょうきん族 ・かまへんライダー ・鬼瓦権蔵と片岡鶴太郎のシーンでおでんを無理やり食べさせるシーン ・たけちゃんマン (ビートたけし、明石家さんま、高田純次)が共演しているシーン ・ひょうきんざんげ室 まだまだ、忘れられないテレビは、たくさんあります。
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