電波少年Wコミュニティスタッフ
みなさん、こんにちは。コミュニティスタッフのワウ子です。 次回2/22(月)よる8:00〜WOWOWオンデマンドと番組公式YouTubeで同時配信する 「電波少年W〜あなたのテレビの記憶を集めた〜い」に、ドロンズ石本さんが登場します! そこで! あなたにとって、ドロンズ「南北アメリカ大陸縦断ヒッチハイクの旅」で忘れられないシーンを1つ教えてください。 より具体的に、なぜ忘れられないか理由もあわせて教えてください。 ▼忘れられないシーンの投稿はこちらから https://cs.beach.jp/scu/6hmn たくさんの投稿、お待ちしております! (コミュニティスタッフ ワウ子)
ゲジール
ドロンズの忘れられないシーンと言えば、 アメリカでのボブさんとの出会いです。 アメリカのに入りヒッチハイクハイクをしていたドロンズでしたが、アメリカではヒッチハイク禁止で途方に暮れていた2人の前に幸運にも1人の年配の男性ボブさん出会います。 彼の旅の目的は自分のキャンピングカーでキャンプ場を点々としアウトドアライフを楽しむ事。 共に旅をする中で自然と仲良くなり時には釣りを楽しんだり、時には皆でバーでお酒を飲んだり。 その中で大島さんが入院してしまいそこでもボブさんはどうせ仕事も無いし、一緒にいれば楽しいと共に行動して2人を手助けをします。 その後無事に大島さんは退院。 ボブさんの亡くなったご両親の墓参りの為ミネアポリスに向かいます。 そしてついに別れの時。 2人は借りた入院費を肩代わりしてもらっていてそれを気がかりにしていました。 彼らが今出来る精一杯の事と所持金を渡そうとしましたがボブさんはそれは出来ないと断ります。 ボブさん昔大きな事故を起こしてしまい、その時助けてくれたのが日本人医師だった。 日本人には特別な感情があるだから自然と助けていたと。 最後ドロンズにボブさんの使っていた洋服などを2人に送ります。 そして涙の別れ。私の息子よと言う言葉と共に。 これが忘れられないシーンの1つです。 今も思い出すと涙が出てしまいますが、ボブさんがいたからこそ最後アラスカへのゴールへ結びついたと思いますし、何よりボブさんの温かさに感動しました。 きっと2人にとっても忘れられない出会いで、かけがえのない時間だったと思います。
zinzou
道端に居たら、疾走する車から、リアルに拳銃で発砲されたシーン。 外国って怖いなぁと思ったし、車ん中から拳銃撃つ、って、映画やドラマでしか見たことなかったのに、バラエティー番組のドキュメントで見るとは思わなかった。
dmy
確かゴールのアラスカからの中継担当してたのは藤井アナウンサーだったと思います スタジオにはドロンズの先輩である内村さんがいてゴールした後ドロンズとは別のVTRを見ながらたまにアラスカと中継を繋ぐという感じだったと思います 何かのVTRあけ内村さんがドロンズに声をかけたのですが映された場所には誰もおらずテントみたいなところから慌てて出てくるドロンズと藤井アナウンサー 内村さんはその光景を見てドロンズに冗談交じりの喝を入れたのですがそれをドロンズと一緒に藤井アナウンサーもまじめに受け取り申し訳ないという顔をしていました その後内村さんに藤井さんはアナウンサーだからいいの(笑)という掛け合いがあった気がします 藤井アナウンサーの真面目さがうかがえた瞬間でした 本編ではなくゴール後なのでちょっとずれるかもしれませんが私にとっては忘れられないシーンでした
SuFuKa1969
南米のどこかの国(ペルーとかベネズエラ辺りかな?)で、ヒッチハイクして乗った車が急いでいて、カーブで横転して運転手が血を流していた所。 間違っているかもしれませんが。。。
せーじ
前説の時、いきなりカンペ読まされた時の、石本の「嫌じゃ!!」。 電波少年って、どこまで人でなしなんだろうと思いながらTV観てました。メチャクチャ笑ったけど。 あと聞いたことあるのですが、コンビ名が「ドラッグ」だったのが、海外行くのにマズイって理由で「ドロンズ」に、本人達にナイショで変えさせられたって話は本当ですか?
ひろぺ
ボブパパとのフェニックスからミネアポリスまでの旅路。 大島さんの入院、エンクミさんのゴール付け替えからのサプライズお見舞いと石本さんとお粥作り、そしてパパの両親のお墓参り。 感動しました。
若ちゃん
忘れられないシーン ドロンズさん 教会に行って リックを 盗まれるハプニング 盗まれる事に 私も 怒りを 覚えたが その後の教会の 人達が 暖かくて 泣いた泣いた ドロンズさん達と 一緒に泣いた事が 忘れられない 俺も世界旅行したいと 思った
エミ
みなさんがコメントされているボブさんももちろんですが、マリオさんも印象に残ってます! スペイン語が全く話せなかったのに、マリオさんと暮らし、マリオさんの紹介で小学校に通って勉強するとみるみる話せるようになり、後にその小学校に再訪した時に先生に「スペイン語上手になったわね」と言われてたのが印象的です! 日常会話程度は話せるようになってたのがスゴイです。
phoenix
コロンビアからパナマにつづく細くなっているところで現地のゲリラに阻まれて先に進めなくなって、 舟をヒッチハイクしてゲリラをやり過ごしたんですよね。あのあたりは番組でもそこまで詳しく触れられていなかったように思うので、どんな事情だったのか詳しくお聞きしたいです
Waterfall_2021
アメリカ本土でキャンピングカーかトラックに乗せてもらった旅が印象的でした。名前は忘れたけど、たしか老齢の男性だったと思いますが、彼は今でも元気なのでしょうか。
アイルトンせなか
一番印象に残ってるシーンと言ったら ペルーでの「リサスイサルサ」ですね おそらくですが、ペルーの番組は全然知りませんが 自分と同年代の人たちは リサスイサルサだけは、知ってると思います この番組出演も、電波が仕込んだ物ではなく 自分たちで路上ライブをして 自分たちで出演をゲットして 歴代ヒッチハイクシリーズの中でも、特に感動したのが その番組出演でした 確か、番組出演の記事が フジモリ大統領の記事のすぐ横に載ったんでしたっけ
phoenix
アラスカに入ったとき、United Statesをスペイン語読みしていたのが印象的です。 ドロンズのお二人は今もスペイン語を読み書き聞く話すができるのでしょうか?
チューねん
ドロンズの旅は滞在型でしたね。各地で奇跡的な出会いをし、助けられ、別れを繰り返し…さながらロードムービーを見ているようでした。当のお二人には過酷な旅だったでしょうが、私は憧れの想いで見ておりました。中でも、ペルーのテレビ番組にレギュラー出演するという予想外の展開には驚きました。リサスイサルサでの出演シーンをもう一度見たいです。石本さん、今でもスペイン語話せますか?
ふみ
南北アメリカ大陸縦断ヒッチハイクといえば、アメリカでヒッチハイクが禁止されピンチだったときに出会ったボブさんとの別れのシーンを思い出します。お二人が『パパ』と呼ぶほど慕っていた彼との別れ際にお二人が号泣するシーンは胸を熱くするものがあり、今でも忘れられません。その後の電波少年インターナショナルで大島さんがボブさんを探し再会するシーンも可能ならもう一度みたいです。ちなみに35000km、424日、という数字、お二人が訪れた17ヶ国の国名(+アラスカ)は当時小5だった頃から今でもスラスラいえるぐらいはまってました。笑
OK星人
ペルーで当時のフジモリ大統領に手紙を書いて、動き出す車に走って行ってなんとか追いついて、窓越しに手紙を渡したシーンが忘れられないです。 電波少年の前説から突然南アメリカ大陸に来て、ペルーでの路上コントをきっかけにしてTV出演するほど短期間でスペイン語をマスターできたのは、何が一番有効でしたでしょうか?
馬場
突如眉毛がなくなったという謎の事件 のちに真相が語られていましたが それならなおさらなんでマユゲやねん!という話で しかも他にも剃り事件があったとかで トータルで何回剃ったんですかね
ぽこぷん
まだ少ししか話せない状況での現地の言葉でのコント、チョコレートが溶けて付いた手を洗いにトイレに入ると、見た人に手にウン◯が付いていると思われ、 「カカ」 「ショコラータ」 と言い合い、最後には手を舐めて 「カカ!」 というオチ。 たった2つの単語で笑わせてくれました。 いまだに我が家で真似てます。
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