「進め!電波少年」
のみんなの記憶

Tプロデューサー

Tプロデューサー

編成部長と兼任でこの番組の企画演出をしていました。それまで頑なに枠移動を拒んでいたのに自分が編成部長になり「夜もヒッパレ」が視聴率低下で終了したときに編成部長としてのベストの選択が電波少年の拡大・枠移動だったのです。自分で自分に命令をした形になりました。そして「夜もヒッパレ」終了の条件とした1クール平均視聴率13.5%をクリアしなかったら終了という条件でスタートしたのです。このことを覚えている人はかなり少なく「カッパやらせ事件」とか「ママさんコーラス事件」で終了したと誤解している人が多く、それはそれで切ない思いをしています。この番組の成立と終了で学んだことも多くあり自分の信念に従って行動したことに後悔はしていません。また電波少年らしい終わり方(人に終わらせられるのではなく自分で幕を引く)をできたことも良かったと思っています。

この投稿へのコメント

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T社畜

T社畜

電波少年(に毛が生えた)の終了が決まったときは、本当に生きる糧を失うぐらい悲しかったですよ。 当時、裏番組にフジテレビがK-1とかをぶつけてきて、電波少年に過去の仕返しでもしたいのかっ!と憤った記憶があります。。

Tプロデューサー

Tプロデューサー

T社畜さん 生きる糧を失うってwありがとうございます!嬉しいです。 正直にいうとこの頃のことってあまり覚えていないんですよね。まさに怒涛のような日々だったから。最終回の日に全部終わってもしばらく実感が湧かなかったです。それも数ヶ月、いや。。。まっちゃんじゃないけど中23年でまたやっているのって「終わってなかったんだ」と改めて感じてるのかな。呪縛に近いですね。

T社畜

T社畜

コメントありがとうございます! ?最後の聖戦?は''最後"じゃなかったんですね。 じつは終わってませんでした!っていうところが電波少年らしいと思います。

コメント2件
翼が欲しい虎

翼が欲しい虎

何か、納得できました。

いーすと

いーすと

Tプロデューサーさん 電波少年の終焉の裏にそのようなことがあったのですね・・ 1つ質問があります。 日本テレビは番組終了に対する視聴率のハードルが他局より高いように感じますが、これはTプロデューサーが入社した時点でこうだったのでしょうか? 世間的に視聴率がそれほど悪くないのに、自身が観ていた日本テレビ系のいくつかの番組が終了と報じられる度、少し悲しい思いをしたものですから・・

Tプロデューサー

Tプロデューサー

いーすとさん 番組終了の決定はその時の編成部長の専権事項となっていて編成局長、取締役、社長とという決定ラインを経ずにその時の編成部長が決定できることになっていました。多分今もそうだと思いますが。つまり現場に一番近い編成部長がそれを決定できるというシステムになっているのです。だからその時の編成部長の個性が出ると思います。僕の場合は「世代交代」というテーマがありましたから長い番組には厳しくしていたと思います。

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