「進め!電波少年」
のみんなの記憶

電波少年Wスタッフ Aくん

電波少年Wスタッフ Aくん

6/21(月)よる8:00〜、放送とWOWOWオンデマンド・番組公式YouTubeで同時配信にてお届けする「電波少年W〜あなたのテレビの記憶を集めた〜い!〜」に、日本テレビ「鶴瓶上岡パペポTV」を手掛けられた白岩久弥プロデューサーが出演されます! そこで!「鶴瓶上岡パペポTV」の記憶・質問をみなさんから大募集! 笑福亭鶴瓶さん・上岡龍太郎さんのトーク番組! 時事問題からお二人の身近に起きた出来事まで、様々な話題をシナリオなし、ぶっつけ本番でこなされたいたお二人。そしてそれが面白いんですよね!本当すごいです。 「鶴瓶上岡パペポTV」の思い出・忘れられないシーン、質問をこのトピックに書き込んでください!白岩プロデューサーから直接、当時の制作裏話をうかがえるかもしれませんよ! ▼質問投稿はこちらから https://cs.beach.jp/scu/6iew ▼「鶴瓶上岡パペポTV」ってどんな番組だったっけ、  という方は番組表をチェック https://denpa.wowow.co.jp/program/23472 たくさんの記憶・ご質問お待ちしています!

この投稿へのコメント

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OK星人

OK星人

パペポ in 大阪城ホールのポスターは衝撃的でした。

yokaze

yokaze

大学時代、友人のアパートで その友人の彼女から着た手紙を勝手に開封し 自分たちの陰毛を入れて 似せた字で「私の毛です、使ってください」と 書き足して、留守だったその友人が帰宅して 何事も無かったように その手紙を渡した話をもう一度見たい。 YouTubeでも探せない。。。。。

すぎナリ

すぎナリ

本日の『パペポTV記憶王』の第2問目で、1人だけ「わるべぇ?」って書いてたの私です。すいません。 YouTubeで見てまして、10秒遅れなので問題出るまで落書きしていて急に「AB」が出てきました。 問題も出題されてから10秒ぐらいでタイムアップになりましてボタンが押せなくなりました。 YouTubeだとちょっと記憶王参加は難しい?。土屋さん、松ちゃん、アッコさん、白岩さん、失礼しました。 4問目までは答えれてたのが残念。

ハッピーハッチ

ハッピーハッチ

まだまだパペポTVが全盛期の頃、日本テレビ「スーパーテレビ情報最前線」という番組で、パペポTVの密着ドキュメンタリーが放送されました。その中で白岩さんは、「鶴瓶さんにとっても、上岡さんにとっても、芸能界の中でお互いがベストなパートナーだと思っている。だから、常に100点を獲ってほしい。」という主旨の発言をされていました。長期に渡り放送されたパペポTVですが、プロデューサー白岩さんから見て、パペポTVの点数は何点ぐらいのものなんでしょうか。

電波壮年W

電波壮年W

今でも印象に残っているのは、お二人の間に置いてあった大きな缶の灰皿です。 当時はトーク番組で出演者が普通にタバコを吸っていて、パペポでも最初の頃は二人ともタバコを吸いながらトークしていました。 が、途中で鶴瓶さんが禁煙宣言し、そのときから、その大きな缶の灰皿の鶴瓶さん側半分が縦にスパッと無くなっていたのには笑いました。(上から見たら半月状)

天吉

天吉

まだ関西ローカル時代の最初期のパペポにゲスト出演されたAV女優の黒木香さん。 番組内で発言した「お見事で御座います」をステッカーにもしたりしましたが、マル禁マーク(卑猥な発言)連発て、この回に限り近畿郵便局(あなたの街の郵便局)がスポンサーを降りる事態となりましたが、演出の白岩さんのご心境は如何でしたか?

天吉

天吉

関西のいちローカル番組から始まって、大阪梅田特設テントのパペポシアター、日本テレビほかに全国ネット、1万人のパペポ大阪城ホール、長居公園の相撲対決、大阪城ホールと日本武道館でのパペポ・ジャパンツアー、そしてニューヨークでパペポ。 白岩さんやスタッフが、ここまでパペポが番組が大きくなっていく過程を見て、どういった心境でしたか?

Ritz

Ritz

生パペポで鶴瓶さんが最後禁断のワードを言うんですがあれはおとがめなしだったんですか?

OK星人

OK星人

パペポの観覧方法が収録の日に先着順に読売テレビ前に並ぶというスタイルの時に、2日ぐらい前から並んでいる人がいると番組で鶴瓶さんが言っていたような記憶がありますが、本当だったのでしょうか。

スクール坊や

スクール坊や

パペポTV よく拝見しておりました。 今ではよくみかける、二人喋りの番組。 当時は画期的で、お二人の話芸のプロが作り出すこの時間に引き込まれたのを思い出します。 質問ですが、 この番組の正式タイトルは、「鶴瓶・上岡パペポTV」ですが、年長者の上岡さんの名前を後に持ってこられてる背景が知りたいです。 また、白岩さんは後に松本紳助なども手掛けられておりますが、今の時代にパペポのような構成で二人喋りの番組を作られるとしたら、どんな二人をマッチメークしてみたいですか? よろしくお願いします。

ユロ

ユロ

大学4年になった時に始まって、卒業で東京に行ったため見れなくなったんですが、半年ほどして東京でも放送されるようになったと思います。初回放送は夕方の時間帯に特別番組だったような気がする。 大学時代は他にもこんな番組も見てました。 美人数珠つなぎの『テレビ・ジャック』 喋らないトミーズ雅『夜はクネクネ』 お色気なしの『エンドレスナイト』 大貫妙子テーマ曲の『今夜なに色』 テレビにらめっこ『突然ガバチョ』 ダウンタウン劇場の『今夜はねむれナイト』

Yuki

Yuki

私はリアルタイムで見ていないのでYouTube で見ました。違法ですよね。すみません。 芸人さんの話術でしょうか、今見ても引き込まれてしまう番組です。お客さんが楽しんでいるのが画面からもわかります。今のテレビで喋っている人達はそこにいる身内だけで盛り上がっているように感じます。 アーカイブで見たいです。

翼が欲しい虎

翼が欲しい虎

上岡龍太郎と笑福亭鶴瓶の組み合わせも含めて、この企画はどういうところから生まれたのですか。

獅子丸

獅子丸

今の番組は台本で固められた感じがありますが、やっぱり見たいのはパペポのような芸人さんの喋りがモノを言う番組です。パペポの他にも上岡さんの出るEXテレビも好きでした。 この前、関西の芸人さんが「東京の番組に出たらカンペがバンバン前に出る」「関西の番組は台本がペラペラ」と言っていました。こんな言い方をしたら失礼ですが、東京の番組と違いスタッフに操られていない関西の番組は、テレビがつまらないと言われている時代に、まだ面白さが残っていると思います。 ぜひ、またパペポのような番組を放送してください!

よう

よう

鶴瓶さんは後に松嶋さんと「きらきらアフロ」やったり、芝居という形での「スジナシ」、更には誰がゲスト(相手)か本番までわからない「鶴の間」など、そして相手は素人という究極的な形の「家族に乾杯」などオールマイティに合わせられる人だからこそ、上岡龍太郎という暴れ馬を見事に乗りこなす…様に見せて上岡さんが上手く乗せてやってる…ようで上岡さんを操縦して… が出来るのではないか?と。 そして上岡さんは別トピックでは少し意見の相違的な部分を書いてしまった所はありますが、それを踏まえても全部覚悟・信念を持って(でもそこは素の人間小林龍太郎さんではなく、芸人上岡龍太郎として)発言をする。 だから、自分の考えと大きく曲がった事をされるとちゃんとブチ切れるし喧嘩で済めばいいけど、有名なナイトスクープでのオカルトネタを扱って大激怒し収録中断からの最悪降板か?的な流れ。 それで文句言われるのなら「どうぞどうぞ。やめてやってもええですよ」と いうそれは不貞腐れてるのではなく、信念曲げてまでやるぐらいやったら自分じゃない人のほうが良いでしょ、という自分流の責任のとり方をはっきりさせてる。 そんな2人がガチンコで楽しみ・楽しませようとしてる番組だからこそパペポTVが伝説の番組として一番記憶に残り、語り継がれてるんだろうな、と思います。 残念ながら自分がちゃんと見れたのはパペポのオープニング曲がAQUAの「MY OH MY」の頃なのでほぼ終わる間近。それと後に復活した「LIVE PAPEPO 鶴+龍」だけでした… そんなレベルなので「そんな事も知らんのか!」と言われそうですが、 (1)そもそも「パペポ」ってなんですか? なにか意味のあることなのか、音的に気持ちいいからみたいな造語なのか… ネットで調べたら到底ここじゃ書けないようなド下ネタな意味だとなってましたが…。 (2)見てるあんたも同罪じゃ!のキャッチコピーと上半身は燕尾服、下半身はスッポンポンのち◯こ丸出しにモザイクが掛かってるあのポスター…。 鶴瓶さんなら丸出しも何となく分かる(コラコラ)んですが、上岡さんまで前貼りなど無しの丸出しで撮影されたんだろうか?と そういう「下品なシモネタはやりたない!」と言いそうな気もするんですが、上岡さんは拒否しなかったんでしょうか。 多分この2つの答えは2人のフリートーク中にもう出てるのかもしれませんが、何分新参者に近い奴の質問として受け入れてくだされば…。

いーすと

いーすと

白岩プロデューサーに質問です! 私は直接、その放送をリアルタイムで観たわけではないのですが(パペポの総集編か何かで一部観た感じです)、パペポTVの初期にゲストで当時、超話題のあの黒木香さんが登場した回があったと記憶しています。 発言内容がとても過激だった?らしく、1時間番組なのにその回の正味の内容は30分ぐらいで、あとは過去の総集編に変わってしまったことがありましたよね? 当時のスポンサーが提供を拒否した回でもあったと思いますが、やはり出演者はもとより、スタッフの方々は相当混乱してしまった回ではないでしょうか? 編集や放送自体が危機だったなど、ぜひその時の裏側でお話しできるところがあれば教えていただきたいです!

あすやん

あすやん

そろそろオンエアーも近づいてきたので、改めて録画していた「スーパーテレビ」の「笑いが生まれる瞬間」を見返してきました。テレビ番組と言いつつ、楽屋の中ではボクシングの試合開始前みたいな空気感を漂わせており、白岩さんはリングに上がるボクサーを支えるセコンドみたいな感じで二人に接していたのが印象に残っています。ちなみに当該番組はパペポの資料として価値はありますが、番組自体には(なんやかんやで5分経過)。   とはいえ、このままではアレなんで重箱の隅を楊枝でほじくるようなことをいくつか質問させて頂きます。 1:オープニングテーマがすべて洋楽(うち一曲は日本語の歌詞をわざわざ英語に変えていた)だったのは理由があるのでしょうか。白岩さんの趣味?。 2:マル禁の処理、特に時間をカットする時の演出は時期によって変わっていました。「なんやかんやで5分経過」というテロップから、最後の方は砂嵐になってテレビらしくなっていたのですが、これも白岩さんの趣味でしょうか。 3:で、結局白岩さんはパペポで何をやってたんでしょうか。未だに謎です(笑)。

はる

はる

まずパペポで一番笑ったのと忘れられないのを一つずつ 塚本7kmの話は爆笑しました。 二人の噛み合わない話。上岡さんは鶴瓶さんに理解させようと話すのに鶴瓶さんは自分の話に入りすぎて理解出来ずにまたいちゃもんつけられてると思ってムキになって話しまくる。 子供ながらアホなおっちゃん(鶴瓶さん)とかしこのおっちゃん(上岡さん)とがヒートアップしていく感じにゲラゲラ笑ってみてました。 あと忘れられないのは阪神大震災後の放送です。 いつもは観客を入れての公開収録をしてましたがその回は無観客の収録。いつも笑わせてくれてたアホなおっちゃんが政府の対応の悪さ、報道の仕方等、被災した人の怒りを放送の電波にのせて発信してくれたと思います。 お聞きしたいのは阪神大震災後の収録の裏側はどうだったのかと言うことです。バラエティー等は自粛傾向にあったと思いますが放送に至るまでの流れをお聞きしたいです。

Tプロデューサー

Tプロデューサー

はるさん この阪神大震災の話は白岩さんも打ち合わせであった時に言っていました。とても色々あったようなのでじっくり聞き出したいと思っています。

よう

よう

今にして思えば見れる環境下にいたのに番組の面白さに気づかず番組末期〜復活後にちょっとだけやってたLIVE PAPEPOというロケ先でトークする番組を唯一視聴してました。 で、阪神大震災の回はYou Tubeで見たんですが、概ね政府・マスコミ報道への苦言はそのとおりだと思うのですが、上岡さんがずっと「自衛隊は人を殺す訓練はしてるけど人を助ける訓練なんてしてないでしょ」と自衛隊批判を繰り返してましたが、実際に被災した人からしたら「いい加減なこと抜かすな!」とガチギレされてたでしょう。 どれだけ自衛隊の人達がマスゴミの騒音撒き散らし報道の中で身を粉にして働き、防衛軍としての統率の中で助けたくても助けられないもどかしさに歯を食いしばる気持ちで我慢し、活動が終われば当然の義務としてそのまま帰られていく。 確かに2人が仰るとおり命令を待たずに助けに行くという考え方もあります。 が、それは「防衛軍としてその時その時で個人や小隊が好き勝手な行動をすれば本当の戦地での救済活動で無統率の中行われる事がどれだけの被害と遅れが生じる」か全く無知なまま話をされてるわけで、この時ばかりは言って良い事と悪い事の区別がつかないまま公共の電波で身勝手な思想を垂れ流してほしくない…と強く思いました。 が、「強く思う」だけで番組に抗議をするつもり(例えリアルタイムで見てたとして)もありませんし、ネットで匿名で悪口を言いたくもない。 そして今このような発言をしたらネットとワイドショーが嬉々として悪意100%(か、そうだそうだと自衛隊批判)で好き勝手書くんだろうなぁ…と思うとあの当時の放送基準はやっぱり良くも悪くも緩かったなぁ…と思います。 それ以外の回は楽しく見させて頂きましたし、番組OP&EDのかっこいい演出は今でも素晴らしいと思ってます。 後、番組初期の二人のポスター(笑) 糸井重里さんのアイデア(?)だったと思いますが、鶴瓶さんがやるのは分かりますが、上岡さんも本当にやってたのかなぁ?

はる

はる

YouTubeに上がってるんですね。 内容に関してはざっくりとしたことしか覚えてなかったですね。 当時、自分は小学生で自分自身もあの地震を体験して急に非日常になったところに放送があると聞き、『今までやってた番組が放送される=平穏な日常への一歩』と思っておりました。 内容を半分程度しか覚えてなかったですがあの時の暗い話しか流れてこない中で放送を楽しみに待っていたのは覚えてます。

よう

よう

>今までやってた番組が放送される=平穏な日常への一歩 素晴らしい言葉だと思います。確かにそのとおりですね。 自分の書き込みはそんなはるさんの思い出に傷を汚しかねない内容だったかもしれません(すいません…)が、「TVを付けたらパペポやってた。いつもよりは重い話だったかもしれないけどいつもの2人がいつものセットで話してくれてる」という光景はそれだけで活力が湧くというか、それだけで元気になれますよね。 余談です。 >YouTubeに上がってるんですね。 決して良い事ではないですが違法アップロードとして沢山の動画が上がってます。 1回分フルで上がってるものもあれば、1トーク分数分間だけの時もあります。 TVCMでも「違法アップロード。駄目だよ。」ってのをよく見ますが、だったらTV局自身がアップして見せてくれよ!と。 TVerプレミアムでもいいから、月数百円とって過去の番組沢山見せてくれ!って思います。 今は過去の番組を見ようにも、各局が独自でお財布に優しくない額を取って配信してるので全局入って見れずじまいでお金だけ取られる…って言うことになりかねないですから「こういう時のためにTVerっていう仕組みを活用するときじゃないのか!」って思います。 DVDって手もあるんですが、60〜90分収録ディスク2〜3枚組で2〜3万しますからね…。で、買いそびれたら数量限定生産ばりに少ないのでプレミア価格帯になったりします。そうやって見る人を制限するぐらいならYou Tubeに広告付きでアップして広告料貰えばいいのに…と思いますが権利関係ややこしすぎて無理なんでしょうね…。

コメント4件
あすやん

あすやん

「パペポの番組開始前に放送した『激突夜話』を元にパペポを作り出した」と某放送作家さん(マラソンとボクシング好き)にお伺いしたことがあります。ただその時に「パペポ作る時スポンサーの郵便局(近畿郵政局)に出す企画書はコレと違ってたんや」と仰っていました。どんな企画だったのか覚えておられますでしょうか。 追伸:高校生だった私はあの時テスト期間の早上がりを利用して整理券を貰いに行きました。あの時のスタジオの熱気と興奮(消防法に引っ掛かるんじゃないかという位の人数が第二スタジオにいました)はいまだに忘れられません。

翼が欲しい虎

翼が欲しい虎

やっぱり鶴瓶が「ケツ」を出した回ですね。 アレ、よく見ると足の間から、『袋』が見えていたのですが、問題なかったのですか。

ツツジ

ツツジ

パペポTVって日本郵便(当時郵政省)一社提供だったはず。 現在では有り得ますかね。 あと88年までは読売テレビ旧社屋だったはず。

kirikiri

kirikiri

鶴瓶さんを中心に見ていると、79年頃に一世を風靡したラジオ大阪の「新野、鶴瓶ぬかるみの世界」が面白くて、新入社員生活を脅かすような日曜日深夜に眠いなか聞いてました。わたしにとっては、「パペポTV」は鶴瓶のフリーなトークを引き出している番組で、「ぬかるみの世界」のテレビ版という感じで見ていました。新野新、上岡竜太郎という先輩が鶴瓶のフリーなトークの面白さを引き出しました。話は逸れますが、上岡は新野を「代表作がない放送作家」とぼろかすに言ってましたが。関西のこの番組がテレビ史を代表する番組に上がるとは、土屋さんはしっかり見ておられる、と感心しました。

うちゃ

うちゃ

「パペポTV」懐かしいです。湾岸戦争の影響で日本テレビでは深夜番組が一部休止になった影響で、一時期ネットされなくなってしまい、静岡第一テレビが映る親戚宅で録画してもらったり、知り合いの中には神奈川県から無理やり静岡の電波を受信しようとしていた人もいたのを思い出します。 ところで、ある放送回で上岡さんが、大阪の民放の番組はスタジオのセットに奥行きが無くてしょぼい、だから自分の番組だけは絶対に奥行きのあるセットにしたい、という事を言っていたことがありました。 それまで関西発の民放の番組をあまり見たことが無かったのですが、他の番組と比べて「スタジオセットの奥行き」にどのようなこだわりがあったのか知りたいです。

あすやん

あすやん

思い出という事でスタジオ観覧で覚えていることをつらつらと書いてみます。 〇スタジオ観覧にはちょっとした法則がありました。配られる整理カードが赤・青・黄色の3種類ありました。赤は女性だけのグループ、青は男性のみのグループ、そして黄色はカップルさん。女性が入場最優先で、カップルさんは同じ場所、男性はとにかく空いているスペースに移動を指示されます。夕方に帯番組(「ざまぁKANKAN!」という番組で、これも確か白岩さんがやっていたハズ)をやっている時は第一スタジオという一番大きなスタジオだったのでよかったのですが、その後平均的な第二スタジオに移動となり、男性単独で見に行くことができにくくなったことを覚えております。 〇前出のように男性の観客はとにかく空いているスペースに座るというのが定説でした。舞台前の観客席には絨毯とクッション(どれも薄く冬場は床の冷気がそのまま来るので大変でした)、カメラの後ろ側には椅子が用意されていたのですが、カメラ横の微妙な場所は明らかに美術倉庫の片隅に置いていた畳。収録語ズボンに藁がくっついて取るのが大変だったことを覚えています。 〇スタジオの構造が第一スタジオ・第二スタジオと違うので二人がどこから出てくるかによって「今日はこっちのスタジオ」とわかりました。第一スタジオは下手、第二スタジオは上手から出てきており、パペポの最終回はそれを利用してゲストが下手の階段から出てきてましたね。 〇机の上を模したセット(このセットもおしゃれで、二人が座るイスや最後のお便りを紹介する机もこのセットの中に最初から置かれていました)からほぼ第二スタジオの収録でした。その時就職活動で読売テレビ内の社内見学をした時第二スタジオにずっと建て込んだままのセットを見て「読売テレビのスタジオの稼働率低すぎるなぁ」と思ったものです。 〇その時美術倉庫も見せて頂けたのですが、「『禁煙中』と書いた板を貼って半分に切られたドラム缶」を見て興奮していたのを覚えています。 〇観覧の観客にもたくさんの方々がいらっしゃいました。収録中にポケベルが鳴って鶴瓶さんに「鳴ってますよ!」と指摘された人もいれば、「どう考えてもそのスジの人達」も。多分抗議か何かで来たのかもしれませんが、ただ爆笑して帰っていきました。 〇今でも覚えているのがADさんの前説。明らかに芸人さんではない普通のスタッフさんなのですがきちんと爆笑を取っていく(もちろんパペポに絡んだネタですが)。どうでもいい話ですが読売テレビさんの前説は関西のテレビ局で一番面白かったです。今はどうか知りませんが。 〇最終回の収録、始発で読売テレビまで行きましたがその時点で読売テレビの前には長蛇の列でした。あの時は大変でしたねぇ。

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