電波少年Wコミュニティスタッフ
みなさん、こんにちは。コミュニティスタッフのワウ子です。 7/26(月)よる8:00〜WOWOWオンデマンドと番組公式YouTubeでお届けする 「電波少年W〜あなたのテレビの記憶を集めた〜い!〜」に、 「雷破少年」の崖っぷちバンド企画「雷波少年系ラストツアー」 で活躍した音楽ユニット・Bluem of Youthのお二人が登場します! そこで!Bluem of Youthへの質問をみなさんから大募集! シベリア鉄道で旅をしながらの曲作りや、完成した曲「ラストツアー ?約束の場所へ?」 に関する忘れられないシーンや質問を投稿してください。 ▼投稿はこちら▼ https://cs.beach.jp/scu/4jjc たくさんの投稿お待ちしております。
れいこ
懐かしいですね、「ラストツアー」毎週欠かさず観ていました。雷波少年でブルームを知り、それから私の人生は変わりましたね。もう自叙伝書けるくらいたくさんの思い出が出来ました。 「ラストツアー」では忘れられないシーンがたくさんあります。ライブの帰りにショッカーに連れ去られめちゃくちゃ不機嫌な2人w極寒の廃車で一夜を過ごすシーン、風邪をひいた悠二くんのためになけなしのお金でりんごジュースを買うシーン、大事なバッグ を盗まれてしまったシーン、サウナで熱いお湯をかけられはしゃぐシーン、ロシアのかた達と別れる涙のシーン、へべれけに酔っ払ってるご機嫌なシーン、ストリートライブで日本語のうたを絶賛されるシーン、松ちゃんがダニに刺されて生死を彷徨うシーン・・もう数えきれないくらい思い出のシーンがありますね。そんな中、勝負の1曲を携えて武道館へ向かう場面はドキドキしました。そしてついに武道館の幕が・・最高な場面でしたね。あの感動は忘れません! あの武道館の幕が上がったときの表情と演奏・歌が美しかった? ブルームのお二人にあの時のお気持ちを改めてお聞きしたいです!
nori
実はこの企画の前からブルームを知ってまして。当時、線路沿いの恋を良い曲だからと教えてもらい、淡い恋をしていた頃に、突然のこの発表!?飛び上がり、喜びました。それから、応援の日々で、必ず成功すると信じて見守っていました。武道館の映像は今見ても泣けます。お二人の音楽するために生まれてきたそんな瞬間でしたね。もちろん、今でもファンです。??特に別所さんの歌声は最高に癒しです。??何度ブルームに助けられたか。。。ブルームの音楽を知らない人生は私にはなかったです。共に歩ませて頂ける人生をありがとうございます。m(_ _)m質問は、今のお二人が当時の自分に何か伝えれるなら、何と伝えますか???
よーこりん
別所さん、松ヶ下さん WOWOWオンデマンド公式番組とYoutubeでのご出演おめでとうございます。 電波少年。懐かしいけれど、自分にとっては今でもある もう一生そういう感じで 自分の中の歴史的番組として、死ぬまで残っていくんだろうなと思っています。 私は当時、毎週毎週が待ち遠しくて、わくわくしながらテレビでお二人を見ていました。 “旅と音楽”という題材がもう、私の好きな要素そのものでしたし、何よりお2人が、時には悩んだり傷ついたりしながらも、持ち前の人間的魅力と音楽性で、たくさんのロシアの方々に助けられながら、素敵な名曲を生み出していく過程がもう、気付いたらたまらなく好きになっていて。「この人達を応援したい!武道館に行きたい!」と思うようになりました。 ただ、当時の私は、社会人になってまだ年数も浅く、上手く仕事のスケジュールを調整する事ができずに当日を迎えてしまい、開演時間近くになって、どうしても諦めきれずに、思い切って上司に「上がっていいですか」と言って築地の職場から、急いで地下鉄で武道館まで移動しました。 九段下の駅に着いた時には、構内に人が溢れ、何事かと思いました。 なんと、武道館の中に入れなかった人達で溢れていたのです。 もう、びっくりしましたね。テレビの影響ってこんなにすごいんだなと。 その後は、せっかく来たのだからと、人の波をかきわけ 武道館の敷地までたどり着きました。 開場から聞こえてくる音を聞いて「やったねブルーム!よかったね!!」と思いました。 今でも、ロシア語は忘れていませんでしょうか? 当時お世話になった方々と連絡をとったりしますか? あれからずっと 今でも 私の身近にブルームの音楽がありますよ。 悠二くん、まっちゃん これからもずっと応援していきます。
タマヒロ
はじめまして。東京都在住、ブルームオブユースファン歴20年のタマヒロと申します。 雷波少年オンエア当時、故郷の愛媛県で心を病みそうになりながら無謀とも言える大学受験に挑戦していた自分は、武道館観客一万人を目指して、シベリア鉄道の旅を歩む2人の姿と自分を重ね合わせて、毎日必死に生きていたのを思い出します。 ラストツアーは、聴いた瞬間、僕のために作ってくれた歌だ!!と魂の底から感動したのは今でも忘れません。 ラストツアーを聴きながら、歌いながら自分を励まし、大学にも合格して上京し、夢である小学校教員として、今も夢の途中を歩ませてもらっています。 お二人がお元気に音楽を奏でる姿は、今でも僕の夢を育ててくれています。 これからも、ずっと2人のことを応援しています。 次のライブ、新曲も楽しみにしています!! ありがとうございました!
まさよし
忘れられないシーンをひとつあげるとするならば…。 旅の初期・モスクワで風邪をひいた別所さんを気遣い、なけなしの5ルーブルで松ヶ下さんがりんごジュースを買うシーン。売店で「apple juice」(←発音よさげ)と伝え、画面に映されたテロップには「百薬の長 りんごジュース!」と松ヶ下さんの字! 7ヶ月にも及んだ旅なので他にも印象深いシーンはたくさんありますが、りんごジュース以降、自分も風邪ひいたりしたときは百薬の長りんごジュースだと思い、りんごジュースを飲んで治してきました。(毎回、松ヶ下さんの日記の「百薬の長 りんごジュース」の文字が頭に浮かびます。(笑) ロシア旅とは話が反れますが、1999年(当時中2)テレビでBluem of Youthに出会い、それからライブに行ったりCDを買ったりしてBluemの音楽にハマました。ギターをはじめ、自分もライブに出て人前で歌ったりしました。バイトして別所さんと同じTaylor 815(50万円)も買いました。高校を出て音楽の学校に通い、紆余曲折を経て上京したのが2013年。それからまた紆余曲折を経て、いまは東京でIT会社に務めていますが、音楽はいまも大好きです!Bluem of Youthのライブにも必ず参加しています!(去年は運よく有観客LIVE@南青山にも参加できました) たぶんこのまま一生、Bluem of Youthが大好きです。お二人も一生Bluem of Youthで音楽で遊んでいて欲しいです!年1でいいのでどうかお願いします! またLIVE行きますね!??
レモネード
スタートからずっとテレビで観ていました。 半分はミーハーな気持ち、もう半分はあと1人足らずに一万人に達成しなかったら行かなかったことを後悔するなと思って職場の仲間を誘って武道館に行きました! 1回目には入れず、暗い外でずーっと並んで待って2回目に入れました。舞台より天井に近い席で登場を待っていると、幕が上がると同時にアコースティックギターの前奏が流れてきました。 この前奏を聴いた瞬間に私の人生が変わりました。 まさにブルームにハマった瞬間です。(今でもライブに参加しています) ラストツアーの演奏に鳥肌が立ちました。届けようという一生懸命な演奏にこころ打たれました。(半分はミーハーな気持ちで参加したのに…) 質問は、ロシアでの旅の中でお互い相手に『こいつすげーな!』と尊敬したエピソードはありますか? これからもずっと応援していきます!
レモネード
半分ミーハーな気持ちで武道館へ行き、生のラストツアーの演奏を聴いて鳥肌が立ちすっかりブルームオブユースのファンになり、今もライブに参加しています。 ラストツアーを作曲した山ごもりの現場が見たくて、ロシアのハバロフスク・アムール川のほとりまで行きました。(もちろんちょうどの現場はわかりませんでしたが…) その時、ロシア人のガイドさんに『なぜロシアにきたのか?』と聞かれ、ブルームの旅をまとめた本を持って行ったので、それを見せて『この旅に感動したからです』と言って内容を説明したら、 『お?なんてバカな日本人!』と言われたのです。 私はすかさず『なんでバカなんですか??』と聞くと シベリア鉄道の座席は硬くて乗り心地が悪く最初から最後まで乗ったら、お尻がもたない!という内容の答えでした。 質問は、シベリア鉄道の乗り心地はそんなに悪かったですか?何か鉄道内でのエピソードがあったら教えてください。 (バカという表現が不適切でしたら申し訳ありません。言われた通りに表記しました。)
レモネード
何度も投稿失礼します。 半分ミーハーな気持ち、半分はあと1人で一万人に届かなかったら行かなかったことを後悔すると思って武道館に行き、生のラストツアーの演奏を聴いて、すっかりブルームオブユースのファンになりました。 帰国後、学園祭やライブも多く、北は仙台・南は広島まで行き、直近では昨年10月の南青山マンダラのライブに参加しました。 私の今年の手帳の10月4日には、 『運命の日 22年前』と記入してあるほど、ブルームオブユースを忘れることはありません。 そこでお二人に質問ですが、 毎年10月4日に『運命の日だな?』と思い出したりしますか? また、何か特別なことはしていますか? (あの時の空腹を満たすご褒美に牛丼大盛り食べる!とか) これからもずっと応援していきます!
とも
こんばんは? 大好きでよく観ていた雷波少年、電波少年。 そして、この番組でファンになったBluem of Youthのお二人が出演されると聞き、とても楽しみにしていました! ロシアの旅は、最初から拝見させていただいてました。 運命の1曲を作るために、ロシアを旅をしててたくさんの方達との出会いを通じ、素敵な歌ができていく姿を見ていました。 今でも、ロシアでお世話になった方との繋がりはありますか? 私自身、その当時仕事でいろんなことがあり、人が信じられなくなっていた時期でもありました。 でも、ブルームのおふたりが、ロシアの旅を通じてたくさんの方からの温かいふれあいなど見ていて私も気持ちを入れかえ、人との出会いや繋がりを大切にしていこうと思えるようになりました。 22年前にブルームを通じて出会った大切な大好きな友達とも今も仲良くしていただいています。 そんな素敵な出会いをくれたブルームのおふたりに感謝でいっぱいです! ありがとうございます!! これからもずっとずっと応援しています!
phoenix
うおー!ブルームオブユースのお二人が出演か!! アコギ2本でしたし、弦も切れるし弦交換が要るんですが、交換弦の調達はどうされていたのでしょうか? なぜかロシアの地で「恋のバカンス」が定着していましたが、 楽譜など入手はどうされていたのでしょう? シベリア鉄道の各駅停車でしたが、一駅の間隔はどれぐらいなのでしょうか? 名鉄みたいに歩いて行けるぐらいの距離なのか、JRみたいに歩くにはちょっと辛い距離なのか、それとももっと距離があるのか?
ふみ
Bluem of Youthのお二人といえば『ラストツアー〜約束の場所へ〜』はもちろんですが、ラストツアーのゴール後に行われた「雷波少年系ミラクルラブ&ホラー in日光江戸村」のテーマソング『Lover's Slit 』もとても印象的で、20年以上たった今でもたまに車の通勤で聴いてるぐらい大好きな曲です。ラストツアーとは全く違う大人の激しい恋愛ソングというイメージの楽曲ですが、当時14歳だった僕にとってはとても刺激的で、大人のカッコよさをみせつけてもらった記憶があります。Bluem of Youthの楽曲はおふたりの恋愛体験をもとに作詞をされることが多いのでしょうか?
ぴあす∞
私のBluem of Youthへの入口は室井滋さんでした。 生きていくエネルギーみたいなのが、室井滋さんの大好きな一面です。 室井滋さんが、広大なロシアのどこにいるかわからない2人にカレーを作るために探しに行く、と言うスピンオフ企画の会で2人を見たのが始まりで、これはがけっぷちバンド企画の後半だったので、ほぼ番組が終わる頃にBluem of Youthのお2人にはまったと言うわけです。 なので、武道館が一杯になるかならないのかのドキドキ感と、私が行かなきゃ感は、残念ながら味わっておりません?? だけど、2人の奏でるメロディと別所さんの声が大好き??で、あれからうん十年(笑)一緒に歳を重ねてしまいました?? 今でも応援しています。 番組で印象的だったのは、ストリートでの進行で意見に食い違いがあったのか、松ヶ下さんの要求に応えられないと言った感じで、『おまえの要求に応えられる奴がいたら、そいつに歌ってもらえ。もう、できねーよ。』みたいな捨て台詞を吐いて別所さんがその場を立ち去ってしまった場面。その喧嘩の真相と、その後どうやって仲直りしたのか?はたまた、仲直りなんてしてないのか??? 中学校からの男同士の友情に仲直りなんて不要なのか????? 何があったのか気になってました。 ま、ずーっと一緒にいるわけだから何かしらいざこざあって当たり前だと思うんですが・・・ 又、松ヶ下さんの何かのイベントの質問コーナーで、『愚問ですが』の前置き付きで別所さんの事をどう思ってるか聞いたことがあります。 なので、ついでにお互いの事をどう思ってたか、歳を重ねてどー思ってるか聞いてみたいです。 愚問ですが(笑) このご時世、なかなか2人揃ったパフォーマンスを見ることが出来なくて寂しい限りです。 コロナが落ち着いたら、是非また2人のLiveに参加したいです?
松の子ひろクン
『崖っぷちバンド企画第二弾』のロシアの旅…約22年前になりますね。 今でもBluemのお二人がチャレンジした過酷な旅のすべてのシーンが想い出されます。 なけなしの4ルーブルで買ったアップルジュース、マイナス20度の雪の中での車中泊、 シベリアダニに噛まれてダウンした松ヶ下さんに代わって単身!ストリートライブを決行した悠二さん、バイカル湖で曲作りに挫折(スランプ)して苦しんだ松ヶ下さん… そして、二度の山篭もりの中で『ラストツアー』という勝負出来る1曲を創り上げたBluemのお二人の姿に、毎週泣きながらTVを見て見守っていました。 『ムジカンテ(音楽家)は街に幸せを運んでくる』 ロシアの方々の言い伝えもあって、まったく知らない日本人のお二人を家に招いてくれるロシア人の温かな人柄を、この旅を通じて教えてくれたのも、Bluemのお二人です。 本当に、ありがとうございました。 『ラストツアー』の出来た街をどうしても見たくて、ウラジオストクからハバロフスクまで、シベリア鉄道に乗って一人旅をして私の人生観を変えた『Bluemのロシアの旅』。 出来ればまた、期間限定でも良いので、この旅をまた観てみたいです。 (Bluemのお二人は…河原で飲んだくれて木に登ったり、全国にバーチャでの素っ裸が流れちゃうので、お恥ずかしいとは思いますが…(笑))Tプロデューサー、ご検討よろしくお願いします。 悠二さん、松ヶ下さん、 今想い出す山篭もりでのエピソードがあったら、教えてください。 そして、もしもロシアに旅することが出来るようになったら、またシベリア鉄道に乗ってみたいですか? コロナ禍の中、昨年25周年を迎えましたが、 2025年の『Bluem30周年』を今から楽しみに待っています! どんどんステキなBluemの曲を紡ぎ出してくださいね。応援しています!
くにさん
広島在住の35歳男です。当時中学2年生でしたが、雷波少年の企画を通してブルームを知り、ラストツアー?約束の場所へ?で一気にファンになり、その後広島を代表する名曲「線路沿いの恋」も知る事ができました。 その他にもStairway・If・夕立etc...他にも挙げればキリがないくらいブルームには名曲が多く、今でも暇さえあればよく聴いてます。(個人的にはLove Butterflyが最高に好きです(笑)電波・雷波少年系で当時流行ったグループは何組かいますが、未だ現役なのはブルームだけなので、今でも活動を続けられている事が本当に嬉しく思います。 企画に関しては、当初話が舞い込んできた時はお二人やスタッフさん達の間で賛否両論あったとは思いますが、最終的にやると決めるに至った理由について詳しくお聞きしたいです。 これからもお二人のペースで構いませんのでコンスタントにブルームとしての姿が見られれば嬉しいです。願わくばブルームとしてNew Albumやライブ等の発表楽しみにしています!
せーじ
待ってましたよ!! 「ラストツアー」はもちろん「Stairway」を今でもよく聴いてます。 一番印象に残っているのやはり武道館。 二人のギターだけで一番を歌い上げた直後、バックの演奏が入ってきて 別所さんが涙声で二番を歌い切ったシーンが忘れられません。 ちなみに僕は武道館に行きましたが、大行列を見て「これなら大丈夫」と思い 中には入りませんでしたが、2部があったなら残っておけばよかったと後悔しました。 あれから長い年月が経って、お二人にもいろいろなことがあったと思いますが、まだこうして二人で音楽を続けていることがたまらなくうれしいことです。 シベリアの旅で最も大変だったこと、心の支えになったのはどんなことでしたか?
かがやき
ラストツアーも大好きな曲なのですが、 お2人が旅で作られた「Stairway」という曲に 私はとても思い入れがあります。 私は高校1年生の1学期にいじめに会い、 不登校になりました。 そんな頃に、不安をかき消すかのように何度も聴いていたブルームのStairway。 ある日、Stairwayを一緒に聴いていた母から こんなことを言われました。 「この歌詞の通りだよ」。 それは2番の歌詞にある 「今、僕の前に永遠と広がる恐怖は心の弱さという幻と知った」という言葉。 何度も聴いてたStairwayなのに、 母の言葉でハッとさせられました。 「僕が今感じている恐怖は自分で作り出している幻なのか」と。 それから、2番の歌詞を噛み締めながら聴くようになり、何度も2番の歌詞を口ずさみ、勇気を貰い、そして2学期から学校に復帰することができました。 ブルームのお2人、 辛く苦しい旅だったかと思いますが 本当に素晴らしい勇気を貰える曲を 作っていただきありがとうございました。 これからも応援しています。
エイチ
ブルームゲスト出演、楽しみにしています。 雷波少年のラストツアー見てました。 1999年10月4日、運命の武道館ライブ。 1万人が集まらなければ解散して音楽と関係ない仕事に転職するという企画内容でしたが、結果3万人近く集まって見事企画クリア。 「ラストツアー 〜約束の場所へ〜」が演奏されるのをテレビの前で見ていて、すごく心を揺さぶられたのを覚えています。 さらに曲の途中でおそらくサプライズだったと思いますが、バックにバンド仲間が登場して一緒に演奏を始めて泣きながら歌う別所さんの姿に何だかもらい泣きしてしまいました。 私は関西在住で、当時平日(月曜)に東京に行くのは難しくて行けませんでした。今更ながらゴメンナサイ... サムエルの時みたいにCD買うとかなら絶対買うのに...応援したいのに...ともどかしい思いで見ていました。きっとそういう人もたくさんいたと思います。 その頃ちょうど自宅でパソコンを初めて買ってインターネットをやり始めた頃で、「ブルームの武道館行けそうな人お願いします!」って私設のホームページのBBS(掲示板)に書き込みをしたのも覚えています。 (その後発売されたシングルCDはもちろん買いました!) あのラストツアーを旅企画として振り返ってみると、いろいろ印象的なシーンがたくさんありました。 モスクワで松ヶ下さんが"百薬の長・リンゴジュース"を風邪を引いた別所さんのために買ったシーン。 (リンゴジュースを見ると「百薬の長」という言葉が浮かぶようになりました) ブイではローバさんという女性の家で世話になってサウナで松ヶ下さんが熱い!冷たい!と騒ぐシーンと、ウォッカで酔っ払ってベロベロになるシーン。 (テレビ放送ではカットされてましたが同行ディレクターも酔っ払って踊ってましたね) 別所さんは女性や小さな女の子にも好かれ学生たちにサインを頼まれたりしてる横で、松ヶ下さんが「俺には来ないんだな」といじけた日記を書くシーンも好きでした。 ブルームの場合は、他の電波少年の旅企画...例えば猿岩石とか同時期のRマニアの旅なんかと比べてみると、そんなに風貌が汚くならなかったですよね(笑) ストリートライブで稼いでいたこともあってそれを見ていた人から「うちへ来ませんか?」とか声をかけてくれる人が結構たくさんいた印象があります。 で、訳も分からずついていくと、たまたま日本びいきな人だったりして食事をいただいたり親切にされるみたいな。 ただ旅の最初の頃は言葉も通じないし大変そうでしたね。 ロシア語は難しそうですが「スパシーバ」(神のご加護を=ありがとう)という言葉はラストツアーを通じて知りました。 ブルームのお二人に質問ですが、ロシア語は今も話せますか? またカメラに映っていないところで何かエピソードがあればそれも聞いてみたいです。 ブルームはその後活動休止していましたが、現在は活動再開しているとのことでこれからも楽しみにしています。
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